【31】宮古ストップ

今日で家を出てから一ヶ月経ったと家族からLINEが来た。そういえばそうだった、支度して宿を出る。疲れが残っていて先へ進める自信がない。野営候補地をマッピングしていたので、今日は宮古を見て回る事にした。

 

宮古には浄土ヶ浜がある。そこへ行く途中にラウンドアバウトがあった。

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f:id:RSSHAKE:20210509103830j:imageこれは欧米によくみられ、岩手県には二箇所しかないようだ。適切な交通量ならば渋滞も抑えられ、大きな事故を抑制できる効果があるが、過剰な交通量だとかえって渋滞が頻発する。

 

浄土ヶ浜に着いた。祝日なので人が多い。コロナじゃなかったらもっといたのだろうか。

f:id:RSSHAKE:20210509103854j:image「さながら極楽浄土の如し」と言われたこの光景、極楽浄土は見たことがないが、岩の白さが際立っていた。サッパ船で行く青の洞窟ツアーがあったが、1500円、しかも待機列ができている。パスした。

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「サッパ船」のサッパってなんだろうかと思い調べると、諸説あるようだ。笹の葉のような船というのが一番それっぽい気がする。サッパという魚も存在するようだ。

マリンハウスには青の洞窟ソフトが売っていた。味はきっとブルーハワイであっているだろう。「船長は8時から走りっぱなしです。早飯!次の乗船少々お待ち下さい。」乗船アナウンスが面白かった。

 

ウミネコがたくさん飛んでいて、売店には餌用にかっぱえびせんが売られている。岩の上で休んでいる一羽が飛ぶ瞬間を撮りたくてカメラを構えるが、全然飛ばない。カメラを下ろした瞬間飛んだ時にはため息が出た。f:id:RSSHAKE:20210509104107j:image
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先に進むと海岸が見えてくる。岸辺の石は白くて丸い。持ち帰ることは禁止されている。昔はここへは獣道をかき分けてくるしかなかったそうだ。それを超えてこの白さなら感嘆するのも納得だ。

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浄土ヶ浜レストハウスでは、昨日行った魹ヶ崎の到達証明証を販売している。あそこに行かずとも買えるようだが、まぁそれでは意味がない。写真は撮り忘れた。

 

ひとしきり写真を撮り終え、浄土ヶ浜を後にする。

この後、激混みのマックで写真整理とブログを書き、夕方には目星をつけていた場所にテントを張った。暗くなり何度か不自然な光に照らされたが、何事もなく一日が終わった。

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明日も無事でありますよう、気をつけます。

 

 

 

【30】山田-魹ヶ崎-宮古

重茂(おもえ)半島は秘境と言われる。本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)はここにあり、灯台と碑がある。本日はここへ向かうが、天気予報では曇りのち晴れと出ているのに西の方には雨雲がある。

 

疲れが溜まっていたのか、起きるのが遅くホテルを出たのは朝8時ごろ。国道から外れ、県道41号線に入る。

f:id:RSSHAKE:20210505113123j:image早速雨が降り始める。半島入り口から激坂の始まり。道路脇にはリスが倒れている、ひぇ。

 

急な上り坂で体温は上がり、雨具を着ているので蒸れ、さらに晴れ間が見え日光が照りつける。一番避けたかった天気だ。坂を登り終え、一つ目の集落に着く。

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高度は一気に落ちまた坂を登らなければならない。しかしこういう場所に集落があるのは驚く。

長く続く坂に疲れ、声が出てしまう。雨も降ったり止んだりで思うように進まないが自然なので仕方がない。

2つ目と3つ目の集落の間は短く、後は姉吉キャンプ場へと向かう道を曲がるだけ...と思っていたが坂の斜度は上がり、曲がるところから一気に下り坂。戻る時が嫌すぎる。

 

姉吉キャンプ場はデイキャンプ専用。設備は整っていて景色がいい。ここで天気が晴れに変わった。嬉しすぎる。

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駐車場から遊歩道に入り片道4kmを歩く。熊が出ることもあるので、熊よけの鈴をつけるが、今日もGWで人が結構いる。入り口から500mで一気に遊歩道最高地点まで登る。そこから先は緩やかな道だが、雨で地面がぬかるんでいる所が多い。約1時間ほどで海が見え、魹ヶ崎灯台についた。

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灯台は1902年に建てられ、一度戦争で焼失したが、1950年に再建された。1966年までは職員が家族とここで暮らして灯台の管理をしていたそうだ。「喜びも悲しみも幾歳月」という映画の題材になったそうだ。見れたら見る。

建設当時は北にある尻屋崎灯台、南にある金華山灯台の間に灯台はなく、その真ん中に位置するこの灯台は太平洋を航行する船舶にとって重要な道標になっているそうだ。

 

灯台から少し離れたところに本州最東端の碑がある。ここで自分が写っている写真を撮らなければならない。カメラを置くのにちょうどいい岩があった。f:id:RSSHAKE:20210505113414j:image
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果てしなく続く海と強風に、とんでもない所まで来たと思い耽る。岸壁で釣りをしているであろう人も、遠くを見つめて立っている。

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灯台の下に東屋があり、「思い出ノート」が置いてある。私も書き込む。ページを捲ると絵が書いてあったり、とんでもないやつがとんでもないことした記述がある。なんてことだ。

 

1時間ほど景色を見て引き返す。道を少し間違えて長磯という小さな海岸に行き着いたが、海が青くてすごく綺麗だった。f:id:RSSHAKE:20210505113514j:image
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みちのくトレッキング集団の後ろをゆっくり歩いてキャンプ場に戻ってきた。腹が減って仕方がないので飯を食べる。16時ごろキャンプ場を出たが、宮古までの道がキツかった。長く続く坂を歩いていたが、あとトンネル坂ひとつの所で初めて倒れた。水を飲み食料を食べ少し休む。

f:id:RSSHAKE:20210505113603j:image今日は夜にオンライン飲み会に誘われているので、宿をとっている。2日も宿をとってしまったと思っていたが、それは正解だったようだ。

トンネルを抜けて下り坂に入る。この状態で下りは恐怖だ。

 

宮古市街地に着いたには19時ごろ。一日がかりで重茂半島を走った。変わる天気と深い森に秘境という表現のしっくり感を覚える。熊が出なくて本当によかった。途中で草むらから突然出てきた鳥にはマジで驚いた。

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明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【29】釜石-山田

あまり寝ていない。寒い。カイロがなかったら倒れていた。それでも日の出を迎えれば昼ごろまでは動ける気持ちになった。

昨晩、今日の寝床を考えていた。風呂にも入りたいししっかり眠りたい、バッテリーの状況は半分を切っているので、山田にあるビジネスホテルを予約した。

 

釜石の市街地には大きいイオンがある。ここら辺では一番の商業施設だろう、9時オープン前には人が並んでいた。熊よけの鈴を買う。明日以降必要になる場面が増える筈だ。

ラグビーの町としての釜石は有名だ。

f:id:RSSHAKE:20210504162244j:image2019年のラグビーワールドカップの試合会場もある。ウルグアイがフィジーを破った時の盛り上がりはすごかった。

そのスタジアムの近くには「いのちを繋ぐ未来感」がある。震災時の釜石についての施設だ。防災センターでの出来事の悲惨さは、読んでいて辛かった。その施設は解体され、そこにできたのがこの未来館だ。館の隣には慰霊碑が建っている。

遺構として残されるものも有れば、解体されるものもある。センター解体についての展示もあり、存続を希望する住民の手紙もあった。復興していく町と辛い経験をした住民の間にあるとても難しい局面だ。

 

東北に入り度々目にする「津波てんでんこ」。大地震が起きたら必ず津波が来る。逃げる時は家族も関係なく各自それぞれ逃げるという教えが伝わっている。例え子供が親から離れた場所にいても親は子供を探しにいかず、子供も親を探さないで避難所へ走る。それがどれほど難しいことか、昨日の地震で思った。

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釜石を後にする。大槌町に入ると雨が降り始めた。雨宿りをしながら先に進む。

ここには「風の電話」という場所がある。福島の伝承館で見た写真に映っていた所だ。三陸海岸を見下ろす高台のガーデンにある、線がつながっていない電話だ。どうしてもここを見ていきたかった。写真は撮っていない。

 

雨がひどくなる。また今日も手が悴んで痛い。しかし今夜はそれでも耐えられる。宿に着くと、合宿をしているであろう多くの学生がロビーに集まっていた。明日の勝ち筋は見えているのだろうか。

やっておかねばならない充電や洗濯を済ませ気がついたら眠っていた。

 

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【28】大船渡-釜石

昨夜は風が弱く、ゆっくり眠れた。

出発する前に今日のルートを考える。大船渡市街地へ戻り国道を行くか、このまま海沿いを走っていくか。後者に決めた。激しい坂が続きそうな地形をしているがなんとかなるだろう。

 

予想通り激しい坂を超えると、綾里(りょうり)という町に入った。坂を登り終えた時に見えたこの景色がすごく綺麗だ。5月頭なので家々には鯉のぼりが上がっている。

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漁港には5種類あるそうだ。この第一種は地元の漁業が利用するもの、第二種は一種よりも範囲が広く、第三種の全国よりも範囲が狭いもの、第四種は離島などにあるもの、特定第三種は三種の中で振興上重要と指定されているもの。ここで立ち止まらなければ調べていなかっただろう。

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綾里にヤマザキショップが1店舗ある。水場のある公園がないのでここで食料を買うしかない。店舗横でポテチを食べていると緊急地震速報がなった。近くの倉庫は音を出し、電線も揺れている。自転車を必死で押さえる。とても焦ったが、津波の心配がないことに安心した。近くの学校で野球をやっていた子供たちは、私が慌てている間に避難をはじめていた。

 

コンビニのおばあちゃんが心配で様子を見ると、商品がいくつか棚から落ちていたが、無事だった。親族の様子を見てくると、おばあちゃんはお店を出て行った。

近くの家からお兄さんが声をかけてくれた。さっきの地震は大きかったけど、震災の時は立っていられないくらい揺れて、津波が玄関の目の前まで来て止まったそうだ。

おばあちゃんが戻ってきた。結構な量の相当いい品のわかめを頂いた。しかし要冷蔵の文字が。お礼をし、綾里を発つ。

 

 

甫嶺(ほれい)へ入り見えた上り坂に辟易していると、横に校舎が見えた。校庭には高台とサーキットコースが広がっている。BMX練習中の子供たちがいた。入り口で覗いているとフィールド整備していた人が気になるなら入ってもいいよと言ってくれた。中に入り親御さんに話を聞いてみる。どうやらここではBMXが熱いらしい。中心となって指導している人は自分より若そうに見える。

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後ほどこの場所について調べてみると、TXF(Tohoku Extreme Factory)という企業が、廃校となった小学校の跡地を活用して東北初のBMXフィールドを2020年5月にオープンさせた。「三陸BMXスタジアム」という名前だ。BMXを見るのは初めてで、子供たちのバイクはジャンプ台から結構飛ぶし、指導者さんのバイクに至っては飛びすぎて驚愕した。

車輪の音や子供達の声がよく響くいいところだ。お昼の時間まで見学と写真を撮らせていただいた。

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天気予報では18時ごろから雨が降ってくる。それまでになんとか釜石までつかなくては。

もうそろそろのところで雨が降ってきた。しかもまだ坂がある。進むしかない。スピードを抑えてようやく釜石の道の駅に着いた。手先が悴んで動かない。しかも土砂降りの雨に変わった。道の駅にはベンチしかない。寝床の確保に失敗した。日の出までベンチで耐える長い時間が始まった。

 

明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210504150624j:image

【27】気仙沼-大船渡

窓からの日差しで目が覚める、快晴だ。連泊が無駄にならなくてよかった。適当に朝食を食べホテルを出る。

今日はどこまで行くか。本当は前日までに考えなくてはならないのだが、最近は当日の朝考えるようになってしまっている。とりあえず陸前高田を目指し宮城県を出る。

 

宮城県を出る手前に半島があるが、自転車で半島に突っ込むと短くても2日は過ぎてしまう。今回は行かないことにする。

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陸前高田が見えてきた。海岸沿いは遺構と祈念公園があり、市街地は北の高台に広がっている。防波堤が長く建設されている。それは壁と表現できるくらい高く、しかし自然の力の前では時間を稼ぐまでに止まる。その時間が人の命を左右する。

 

道の駅の隣には陸前高田の被害を伝える伝承館がある。

f:id:RSSHAKE:20210504090125j:imageこの場所は震災で特に波が高かった場所だ。当時の街は「ほぼ壊滅状態」という報道がされていた。犠牲者の9割は溺死であるという情報に目が離れない。どんなに苦しかっただろう。

 

奇跡の一本松は報道でも紹介される事が多い。この1本は、かつて高田松原と呼ばれていた約7万本の松林の一部だった。この松は枯死状態で、今は鉄製の心棒を幹として入れ込み保存をしている。この松は色んな要因があって流されずに済んだ。

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施設の奥には高い防波堤がある。そこからは市街地が少し遠くの高台に見える。

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施設を後にして国道を走る。今日は大船渡の尾崎岬にあるキャンプ場までいかねばならない。明日からGW、今日そこへテントを晴れるのは運が良かった。

 

明日も無事でありますよう、きをつけます。