【26】気仙沼雨ストップ

※本日は震災遺構と伝承館について触れます。ご注意ください。

 

朝から雨が強く降っている、予報では一日中雨。そしてこれからは坂ばかりの道。泊まっていたビジネスホテルに連泊を決める。素泊まり5000円だが、今日泊まるのはそれ以上の価値がある。

一日中部屋で寝るのもいいが、気仙沼市街地を通り抜けており、あのバス道路もすごい気になる。

 

出発してまもない頃、雨の日に外出なんてしないだろうと、折りたたみ傘を家へ送ったのを思い出す。何考えてたんだ私は。仕方がないのでまた買う羽目に。

 

気仙沼を走るバス「気仙沼BRT」。BRTとはBus Rapid Transitの略で、バスによる高速輸送システムの事。

f:id:RSSHAKE:20210502220305j:image専用道路と大きな車両で早く快適に人を輸送できる。日本ではあまり見かけない。震災で使用されなくなった気仙沼線の線路を活用してこのバスは走る。JR東日本のHPにBRTについてのページがあるので詳しくは参照あれ。

https://www.jreast.co.jp/railway/train/brt/system.html

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向かうのは、陸前階上(はしかみ)駅から降りて徒歩15分のところにある気仙沼大震災遺構・伝承館。被災した旧気仙沼向洋高校の校舎に伝承館が併設されている。

校舎の内部を見て回る。ひしゃげた鉄骨、あるはずのない冷凍倉庫のスポンジ材、そして教室には多くの書物が散乱していた。校舎3階には乗用車がひっくり返って壁に突き刺さっている。この高さに乗用車がこんな有様になっているのは衝撃だった。

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当時生徒は校舎外へ避難、重要書類を保護するために残った教員と工事関係者が校舎屋上へ避難し、無事救助された。

 

校舎を周り終え、伝承館へ戻る。気仙沼津波の壊滅的な被害に加え、港の燃料タンクが流されそこから引火した海上火災が街へ延焼した。震災当夜、燃え上がる火の映像は記憶に残っている。瓦礫で道路は塞がれ、迂回せざるを得ない中、各地の消防が消火活動にあたった。

 

当時の階上中学校卒業式の答辞の映像を見た。予定されていた日程の1週間後に避難所で開かれた。代表生徒は涙を流しながら答辞を読み終える。

「命の大切さを知るのには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です。」

映像が終わって数分は席から立てなかった。

 

気仙沼のあの時について、今までは新聞記事等による伝聞で知るのみだった。この施設に訪れ知る事も伝聞であるけれど、海と生きるこの街を実際に見ることができた。

 

BRTで気仙沼駅まで戻り、ホテルへ歩く。風がずっと吹いていたので、折りたたみ傘では雨を全て防ぐことができず半身と靴がずぶ濡れだ。明日までに乾くといいのだが...

明日も無事でありますよう、気をつけます。

【25】南三陸-気仙沼

日の出よりだいぶ遅くに目が覚めた。日差しが強くテントの中が蒸し暑い。

 

積算距離が1200kmを超えた。こんなに走ったのか。それでも予想距離の1/10。チェックアウトまで自転車の整備をする。チェーン、スプロケット、チェーンリング、ディレイラー、リム、キャリア、ブレーキ、とりあえずまだ異常はなさそうだ。1600〜2000kmのどこかでお店で見てもらった方がいいだろう。

 

今日はどこまで行こうか、全く考えていない。カメラのバッテリーも、モバイルバッテリーもすっからかんに近い。夜は雨の予想が出ているので、気仙沼まで行きビジネスホテルで宿泊するのが一番いい選択肢だろう。

素晴らしいキャンプ場を後にする。

 

エグい坂を登りながら、団地が多いことが気になった。移転住居団地らしい。

南三陸町に入る。下り坂の景色が開けると防潮堤や遺構が見えてくる。北上していくほどに、遺構に示された津波高が上がっていく。見上げる高さに恐怖を覚える。

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復興祈念公園には南三陸町防災庁舎の鉄骨が残されている。広場には多くの植樹と碑が建っている。その敷地は広い。こんなにも広大な範囲を抉っていったのか。f:id:RSSHAKE:20210501202739j:image
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気仙沼市に入った。日が落ち始め雲が厚くなり焦るが、速度を出しすぎてはいけない。

本吉というところである夫婦が声をかけてくれた。息子さんの妻が私と同郷だった。まさかここで地元の名を聞くなんて思いもしなかった。一緒に写真を撮ってもらう。カメラを置ける場所がなく仕方なくスマホで撮影。家に帰ったらその写真を送って欲しいと頼まれた。もちろん承諾して、無事帰ることを約束し別れる。別れた後、写真を送るのならば2人の写真をカメラで撮らせて欲しいとお願いすればよかったと、すごく後悔した。せっかくカメラを持っているのだから、スマホでの撮影で妥協してはいけない。三脚の欲しさがまた上昇した。

 

道中、バスだけが走っている道路を見かける。めちゃくちゃ気になる。f:id:RSSHAKE:20210501203121j:image
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気仙沼の北にあるラジェントイン気仙沼に到着。実に久しぶりなベッドでの睡眠。眠ってしまう前に充電は済ませておかなければ...

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【24】東松島-神割崎

朝の冷え込みには意外に苦しまず、少し寒いと感じて目が覚めたのは5時。しっかり夜露はテントを濡らしていた。

いよいよリアス式海岸沿いに入る。今日は神割崎キャンプ場を予約してあるので、なんとしてでも夕方までには着かなくては。適当に水を拭き、畳んで出発する。

 

実は記事作成が結構溜まっている。時間順に、感じたことを書くだけなのだが、始めると長くなる、推敲すると時間がかかる、写真整理にも時間がかかる。けど溜まっているからといって適当に書きたくないので、石巻市のマックで2時間ばかし記事を書いた。

 

キリのいいところで終え、国道45号から外れ北上川沿いを東へ進む。到着時刻があるのでカメラを出さずに進んでいたが、慰霊碑が見え足が止まった。

f:id:RSSHAKE:20210430064207j:imageここは北上地区。津波の被害が甚大だった地域で、14の集落は壊滅的な被害を受けた。この慰霊碑が建つ場所は吉浜小学校の跡地で、ここで避難した児童や職員もいたそうだ。

慰霊碑には亡くなってしまった人々の御芳名が刻まれていた。年齢も刻まれており、中には一桁もあった。涙が止まらなかった。慰霊碑にはハマギクの刻印とイヌワシ像があった。故郷の花鳥は御霊を優しく守っていた。

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慰霊碑の鐘を鳴らし黙祷する。まだ涙がおさまらないが出発する。

 

きつい坂を越えてやっとキャンプ場に着いたのは15時半頃。景勝地神割崎の近くにあり、断崖と水平線と海風を感じることができるすごい場所だ。本当はテントを設営したら自転車のメンテナンスをしようと思ったけれど、明日の朝に回すことにした。フリーサイトの一番奥にテントを構え、場内と神割崎を見に行く。場内には岬がいくつかあり、今日は風が強かったので激しい波と多数のウミネコが見れた。

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弱った鯨が打ち上げられ、その所有を隣接する村が数日争った。ある夜大きな落雷があり、それは岩を一文字に裂いた。裂痕は境を示すような形で、それを見た村民は争いをやめた。これが神割崎の由来だそうだ。

階段を降りるとその岩が見えてくる。綺麗に縦に割れている。割れ目には波が勢いよく当たり大きな飛沫をあげる。

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三脚を構えている人がいた。何を待っているのだろうと思って考えるが、答えが出ない。一度階段を登りキャンプ場に戻ろうとしたが、引っかかりを感じたので意を決して引き返し、聞いてみた。月を待っているそうだ。聞いてみてよかった。階段を登ってもう一回岩を見ているともう1人の人とすれ違った。旅をしていることを伝えると、今日はあの割れ目から満月が出てくる日だということを教えてくれた。月の出まではあと1時間程。スマホの電池が切れそうなので一旦戻る。

 

月の出10分前。2人のカメラマンさんはバッチリカメラを構えていた。どこで見るべきかわからずあたふたする。赤く丸い満月が本当に割れ目から出てきた。しかも雲が全くかかっていない。綺麗すぎて本当に驚いた。

f:id:RSSHAKE:20210430064714j:image自分が立っている場所が2人の邪魔になっていないかとても気になってしょうがない。

 

後方の岩に立ち写真を撮っていると、三脚を使いますかとカメラマンさんが声をかけてくれた。しかし三脚を使用したことがなく、大丈夫ですと答えた。今まで三脚を使用したことがないのをとても後悔した。入門書をみて覚えた設定を色々いじってみながら、息を殺してシャッターを切る。月は段々と登っていき、赤から白へ眩しく輝きを見せる。海面はそれを反射している。めちゃくちゃ綺麗だ。こんな綺麗な月をみたのは初めてだ。

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カメラマンさんも、ここまで綺麗に出るのは本当に珍しいと仰っていた。写真を見せてもらった。すごい綺麗な写真で思わず声が出てしまう。

 

月は割れ目から外れ、カメラマンさんも撤収する。帰り際、缶コーヒーを頂いた。もし最初の引っ掛かりをそのままにしていたら、この月を見ることはなかっただろう。教えて頂いた事に感謝を伝え、解散した。

 

テントに戻り夕飯を作る。前室から見える海は月明かりを反射している。先日野営した時に買って飲むのを忘れた発泡酒があった。贅沢微糖もある。いつもと変わらない夕飯だが、ずば抜けて美味い。

今日の事は忘れないと思う。

 

北上地区とあの月を思い出しながら寝たのは0時頃。明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【23】多賀城-松島-東松島

目覚めたのは2時。日の出は4:49予想で、それまでには西行戻しの松公園に着きたい。

3時に快活を出る。バイクカバーがない。風が強かったのでキツく縛ったはずなのに、、、ダメ元で駐車場付近を探すと快活の看板に引っかかっていた。サンキュー快活。

 

途中コンビニでおにぎりをひとつ買う。夜勤の若い男性がとても爽やかだ。過去に夜勤をやっていた頃を思い出す。

 

松島町に入るとすぐ坂になる。二つ坂を超えた時点でさっきのおにぎりが消えた感じがした。東空が白くなり始めた。汗なぞお構いなしに走る。トンネルを抜けると海に並ぶ小島が見える。青白赤と空の景色が綺麗だ。

f:id:RSSHAKE:20210429191526j:imageもうここで日の出を迎えてもいいのではないかと思ったがここで妥協してはならない。

 

松島海岸駅を左折すると公園まで1.5kmの坂。気温は6℃くらいなのに暑い。日の出3分前ギリギリに到着。東屋に自転車を置き、展望台まで登る。後方で息を整えていたときに日が出た。光を受けて思わず暑いと声が漏れる。山、水面、橋、島、町が朝日に照らされてとても綺麗だ。雲は少ない。妥協しないでよかった。

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朝日が登って30分、公園には私一人。腹が減って仕方がない。ちょうど水場もあるので朝飯を作る。これまでどれほどのパスタに助けられたことか、朝日を見ながら食べる飯は本当に美味い。これで夕方まで持ちそうだ。

 

歌人西行は松島に寄り、歌を詠み悦に浸っているとそれを聞いた童子が歌を詠んだ。西行はこれに驚いて童子に生業を聞くと、「冬萌きて夏枯れ草を刈っている」と答えた。西行はこれがわからず、松島には才人が多くこれでは恥を晒すと諭され、恐れて松島を去った。その時の一帯の松が公園の由来だそうだ。

 

海岸へ降りる。松島湾を周る遊覧船の初便は10時、今は7時半。待つには長すぎるので、少し南にある雄島へ入る。朱色の渡月橋を渡ると、大小の石碑や像が島の岩窟や地面に建っている。その数は50を超え昔は100以上あったそうだ。景勝地であるが、まずもってここは霊場だ。f:id:RSSHAKE:20210429191948j:image
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おじさんが石に座って海を眺めていた。ここが地元で土日には戻ってきて、月曜の朝にはこの景色を見て帰るそうだ。今日は気持ちいい帰りに違いない。

 

福浦島も周り9時半頃、遊覧船乗り場に戻る。大人1人1000円で乗れる。船の名前は仁王丸。去年にできたばかりの船。中央右側に座り港を出発したf:id:RSSHAKE:20210429192115j:image

 

空には島々と同じような形の雲が広がっていた。島の数が多く、全てを見切れないが、仁王島の形には驚いた。遊覧船の行程は約50分。起きてから大体10時間も経っているので、終わり際には船に揺られて眠ってしまっていた。f:id:RSSHAKE:20210429192216j:image
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時刻は11時。ここを出る前に松島ビールという地ビールがある事を調べていたので、牡蠣カレーパンと共に購入した。海岸沿いだとウミネコに取られるから気をつけてと店員さんが教えてくれた。実際海岸でカレーパンを食べているとウミネコが寄ってきたが奪われずに済んだ。

 

東松島市への経路は国道ではなく、奥松島を経由して行くことにした。坂がエグいが、すごい静か。道中にあった菜の花畑が広がる古浦農村公園がめっちゃ綺麗だ。メグメルが流れそう。

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野蒜(のびる)という地域にボロボロの駅のホームと公園が見えてくる。ここも津波の被害があった地域だ。ホームは遺構として残され、線路は自転車や歩行者の道路として整備されているそうだ。遺構の隣にはアパートが。カーテンは取り去られ、部屋の中には物が散乱していた。f:id:RSSHAKE:20210429192307j:image

 

その後は東松島市の北部まで走り、目星をつけていた公園に着いた。本日はここで野営をさせていただく。人気が無くなるまでまち、設営。今日は気温が1℃まで下がるそうだ。

 

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【22】仙台-多賀城

福島へ南下した際の記事を書いていなく、写真の整理もできていないため、それを朝4時に飽きてから8時に快活を出るまで片付ける。

 

昨日東照宮を見られていなかったのでまずはそこへ向かう。伊達政宗の没後災害が続いた仙台藩を幕府が援助し、その感謝と尊崇として東照宮創設を二代目伊達忠宗が願い出たそうだ。

鳥居を進んだ先の広い石階段に並ぶ灯籠が綺麗だ。当時の重臣が奉納したもののようだ。

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お参り後おみくじを引くと末吉。行く先に災いがあるが慎重に行動するべしと、良くない感じがビンビンする。

ふと、スマホに入っているぷよクエを起動してしまう。8周年記念でなんとぷよクロのアリィとラフィソルがメインを張っている。奇跡だ。期を逃すまいと課金する。スカしか出ない。これが災いであってほしいと強く願い、一礼して東照宮を後にする。

 

次の目的地は絶景の本に載っていた塩竈・志波彦(しわひこ)神社。国道45号線を西に走る。道路に自転車走行帯が広く敷設されとても走りやすい。

途中、野球場の看板を目にする。昨日耳にしたプロ野球の試合は今日も行われるようだ。楽天生命パーク宮城へ寄る。

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急な坂を下るとクリムゾンレッドを纏った人が大勢いる。プロ野球はあまりよくわからない。手指消毒に体温測定、手荷物検査とゲートを通るにも手間がかかるが、感染症・テロ対策はイベントには必須だ。

 

球場を後にして急な坂を登り国道へ戻る。40分ほど走ると塩竈神社表参道の長い石階段が見えた。

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塩釜神社陸奥一之宮、格式高い神社で、隣の志波彦神社は明治に遷宮した神社だそうだ。志波彦神社は色鮮やかで塩竈神社は暗いが厳格な雰囲気だ。赤子を連れた夫婦とその家族をよく見かけた。境内には葉桜が、風が少し吹き花が散っている。赤ん坊はよく寝ている。別宮には鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)が祀られているようだ

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この後の計画を考える。松島へ向かうかどうか。時刻は14時ごろ。松島は日本三景の一つ。特にその朝日や夕陽が美しいようだ。今行けばどっちも見れない。少し戻れば多賀城に快活がある。今度こそしばらくの別れとしてそこで夜を明かし、松島の朝日を見ることにした。45号を戻る途中で洗濯を済ませる。

 

18時過ぎに快活に着いた。明日は2時に起きて出発しよう。まだ終わっていない写真整理と記事作成を終えてオープンシートで眠る。

 

明日も無事であります様、気をつけます。

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