【125】東予-丸亀

目が覚めると船は東予港に接岸していた。下船開始から一時間で船から降りればよく、朝食を済ませてから下船した。下船板のでかい凹凸からくる衝撃で残っていた眠気は吹っ飛んだ。港を出てすぐは曇り空だったが、産業道路と呼ばれる大通りに出ると太陽光が雲間から差し始めた。山々の連なり方がすごい。東北や北海道、北陸にもこんな連なりはなかった。f:id:RSSHAKE:20210821174243j:image

新居浜にて地図の回収と洗濯を済ませ、天満峠を越えて四国中央市へと進む。峠を越える頃に天候は晴れに変わる。暑いのにはもう慣れた。四国中央市が見えてくる。山の迫力がすごい。海、畑、町、山が視界に収まる。すごく美しい。
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四国中央市を通り抜け、いよいよ香川県に入る。観音寺市といえば、瀬戸の花嫁の舞台だ。カントリーサインにある山車は太鼓台と呼ばれるもの。豊浜には讃岐ちょうさ祭りがあり、例年なら10月ごろに行われる。ちょうさ会館が国道沿いにあるが、残念ながら閉館時間を過ぎていた。
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どでかい積乱雲が東の空に浮かんでいる。香川と徳島の県境の山だろうか。父母ヶ浜へ向かう。鏡のような静かな潮だまりが空を映す、ウユニ塩湖のような写真が撮れる場所として三豊市の観光局が推している。
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f:id:RSSHAKE:20210821174235j:image700mくらいの砂浜に100人くらい、そこそこの人。中央部に人が集中していた。そこに行くのも嫌なので、観音寺市側から来てすぐの場所で写真を撮った。ちょうど日の入りに雲がかかり、風が少し吹いていた。燧灘と蔦島、遠くに広島、荘内半島が見える。

昔、子供を探していた夫婦が峠で賊に襲われた。そこに探していた子供が現れ、身代わりとしてその首を賊にはねられた。というのが父母ヶ浜の由来だそうだ。子供がなぜ身代わりで首をはねられ、大人が助かるのだろうか。調べると別の由来があった。子供探しの末、夫婦はあるお堂に籠りお地蔵さんに願掛けをしていた。ある夜賊が襲ってきたが、お地蔵さんの首が切られただけで夫婦は無事だった。その後、実は探していた息子がその賊だったことが分かった。というものらしい。父母ヶ浜の南、観音寺市へ向かう途中の天王という地区に地蔵堂がある。そこらへんがこの地名にゆかりがあるのだろう。

荘内半島の根本、詫間を抜けて丸亀市の漫喫へ向かう。野宿やキャンプをもうしないので夜まで走れるが、本来だったら多分、父母ヶ浜の外れで野宿をしていたのだろう。明日も無事であります様、気を付けます。f:id:RSSHAKE:20210830134658j:image