【30】山田-魹ヶ崎-宮古

重茂(おもえ)半島は秘境と言われる。本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)はここにあり、灯台と碑がある。本日はここへ向かうが、天気予報では曇りのち晴れと出ているのに西の方には雨雲がある。

 

疲れが溜まっていたのか、起きるのが遅くホテルを出たのは朝8時ごろ。国道から外れ、県道41号線に入る。

f:id:RSSHAKE:20210505113123j:image早速雨が降り始める。半島入り口から激坂の始まり。道路脇にはリスが倒れている、ひぇ。

 

急な上り坂で体温は上がり、雨具を着ているので蒸れ、さらに晴れ間が見え日光が照りつける。一番避けたかった天気だ。坂を登り終え、一つ目の集落に着く。

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高度は一気に落ちまた坂を登らなければならない。しかしこういう場所に集落があるのは驚く。

長く続く坂に疲れ、声が出てしまう。雨も降ったり止んだりで思うように進まないが自然なので仕方がない。

2つ目と3つ目の集落の間は短く、後は姉吉キャンプ場へと向かう道を曲がるだけ...と思っていたが坂の斜度は上がり、曲がるところから一気に下り坂。戻る時が嫌すぎる。

 

姉吉キャンプ場はデイキャンプ専用。設備は整っていて景色がいい。ここで天気が晴れに変わった。嬉しすぎる。

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駐車場から遊歩道に入り片道4kmを歩く。熊が出ることもあるので、熊よけの鈴をつけるが、今日もGWで人が結構いる。入り口から500mで一気に遊歩道最高地点まで登る。そこから先は緩やかな道だが、雨で地面がぬかるんでいる所が多い。約1時間ほどで海が見え、魹ヶ崎灯台についた。

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灯台は1902年に建てられ、一度戦争で焼失したが、1950年に再建された。1966年までは職員が家族とここで暮らして灯台の管理をしていたそうだ。「喜びも悲しみも幾歳月」という映画の題材になったそうだ。見れたら見る。

建設当時は北にある尻屋崎灯台、南にある金華山灯台の間に灯台はなく、その真ん中に位置するこの灯台は太平洋を航行する船舶にとって重要な道標になっているそうだ。

 

灯台から少し離れたところに本州最東端の碑がある。ここで自分が写っている写真を撮らなければならない。カメラを置くのにちょうどいい岩があった。f:id:RSSHAKE:20210505113414j:image
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果てしなく続く海と強風に、とんでもない所まで来たと思い耽る。岸壁で釣りをしているであろう人も、遠くを見つめて立っている。

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灯台の下に東屋があり、「思い出ノート」が置いてある。私も書き込む。ページを捲ると絵が書いてあったり、とんでもないやつがとんでもないことした記述がある。なんてことだ。

 

1時間ほど景色を見て引き返す。道を少し間違えて長磯という小さな海岸に行き着いたが、海が青くてすごく綺麗だった。f:id:RSSHAKE:20210505113514j:image
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みちのくトレッキング集団の後ろをゆっくり歩いてキャンプ場に戻ってきた。腹が減って仕方がないので飯を食べる。16時ごろキャンプ場を出たが、宮古までの道がキツかった。長く続く坂を歩いていたが、あとトンネル坂ひとつの所で初めて倒れた。水を飲み食料を食べ少し休む。

f:id:RSSHAKE:20210505113603j:image今日は夜にオンライン飲み会に誘われているので、宿をとっている。2日も宿をとってしまったと思っていたが、それは正解だったようだ。

トンネルを抜けて下り坂に入る。この状態で下りは恐怖だ。

 

宮古市街地に着いたには19時ごろ。一日がかりで重茂半島を走った。変わる天気と深い森に秘境という表現のしっくり感を覚える。熊が出なくて本当によかった。途中で草むらから突然出てきた鳥にはマジで驚いた。

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明日も無事でありますよう、気をつけます。

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