【112】雨晴-七尾・和倉温泉

4時ごろ目が覚め、寝ぼけ眼で海を見るとまだ星が残り船の灯りが散らばっていた。今日は石川県へ入る。

f:id:RSSHAKE:20210726062045j:image道の駅氷見の公園にある展望台。スマホ撮影用のスタンドがあったが見事に逆光。

f:id:RSSHAKE:20210726062026j:imagef:id:RSSHAKE:20210726062058j:image富山湾岸サイクリングコース。全長は100kmを超える長いコース。青い導線は途切れている箇所が少なく整備されている。


f:id:RSSHAKE:20210726062116j:imageやっと石川県に入った。

 

f:id:RSSHAKE:20210727063409j:image昼飯をどうするかで迷い、七尾駅前の中華料理屋さんへ。天津丼カツのせが美味かった。先日通販でブラケットカバーを七尾のファミマ宛に注文しており、それが今日届く予定なのだが、まだ到着の連絡がこない。


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f:id:RSSHAKE:20210726062053j:image能登のお祭りで最初に調べる予定の青柏祭。その祭りはこの大地主(オオトコヌシ)神社で5月に催される。デカ山と呼ばれる高さ12mもある山車が3台、七尾市街を回る。神社には小さい藤棚と説明版があった。七尾駅前にはミスドがあり、そこで荷物が届くまで待とうと会計した数分後に到着のメールがきた。ミスド寄る必要なかった...

七尾駅から北へ行くと和倉温泉という温泉街があり、そこに去年開館したお祭り会館がある。急ぎ足で走り、閉館まで2時間半くらいの時間に到着した。

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受付をし、展示室前のホールには能登半島の多種多様なお祭りについてのボードや垂れ幕があった。それにしても多い、多すぎる。f:id:RSSHAKE:20210727071051j:image

展示室に入ると、曳山の体験がすぐに始まった。スクリーンの下から縄が出ている。自分以外に数名の老若男女、まだ展示を見てないので何をしているのかさっぱりわからなかったが、縄がとても重かった。f:id:RSSHAKE:20210726062120j:image

この会館では七尾の周辺の4つの祭りについて展示している。
f:id:RSSHAKE:20210726062123j:image先程行った七尾の曳山まつり、青柏祭。


f:id:RSSHAKE:20210726062102j:image和倉地域の石崎(イッサキ)奉燈祭。


f:id:RSSHAKE:20210726062034j:image能登島中央の向田火祭。


f:id:RSSHAKE:20210726062109j:image和倉の北西、中島地域のお熊甲祭り。

能登の祭事で重要なのがキリコとも呼ばれる奉燈。青柏祭が一番古く、奉燈がデカくて規模も大きいことから他の地域も負けじと地元の祭りを発展させて行って今の多種多様な祭りがある状況になったそうだ。気づけば閉館まで10分、ギリギリ全てを見ながら手帳に書き込めた。それをこの記事に書こうとすると、おそらくめっちゃ長くなる。別の記事にしようとして後回しにし結局蔵入りだけは避けないと...
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クリアファイルを買って職員さんと話す。今年も能登のお祭りは全て中止、能登の住民は相当肩を落としているそうだ。この会館もオープンしてまだ祭りを迎えられていない。それでもこの会館では、地元の子供達のために体験会や太鼓の演奏会を催す予定だそうだ。時期が少し遅かったのなら見れたかもしれない。結局閉館10分過ぎまで話してしまい、お礼を伝えて退館した。

さて、寝床を探さなければならないがとりあえず風呂、弁天湯という公衆浴場へ向かうも道に迷う。この迷った細い道を、大きな奉燈が通るのだから実際見れたら光景に驚くのだろう。

風呂を済ませ、能登島大橋が見える公園へ辿り着いた。良さげな場所だ。今日はここで野宿となった。f:id:RSSHAKE:20210726062105j:image

明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210727074215j:image

【111】富山-越中八尾-雨晴

おわら風の盆。富山といえばこのお祭りということだけは家を出る前に調べていた。越中八尾にこの資料館がある。連日のこの暑さで八尾まで自転車で行くのはしんどすぎるので、速星駅から八尾駅まで電車を使う。

資料館の開館は9時で、八尾駅に着いたのは8時半。資料館は駅から離れた町中にあるので歩いていけばちょうどいいのだが、電車接続のコミュニティバスが止まっており、せっかくなので乗る。左回りと右回りの2種類あり、今回乗ったには右回り。資料館へは遠回りの経路で運転手さんはそれを気にかけてくれた。経路と町を見られると思えばそれも良い。

八尾は坂の町、マイクロバスは法定速度で登っていく。川沿いにはスポーツ施設等、色々揃っていた。帰りにバスを使うようなら、目立つ様に手を振ってくれと運転手さんが教えてくれた。バス停は目立たなく、手を振ってくれたらそこで停まってくれるそうだ。

そんなこんなで資料館に着いた。祝日なので国旗が掲揚されている。資料館は2階建、一階はスクリーンとおわら節の振興に尽力したある方の展示、二階はおわら風の盆の歴史、衣装、おわら節、踊りの展示がある。「おわら」は江戸まで遡る、その由来は大笑い、大藁、小原の3説ある。必ず9月1日から3日までの期間で行われる。この時期を二百十日、収穫前の台風被害が多い時期で、風を鎮める祈りを込めての祭りがおわら風の盆。実は8月31日の夜更けから始まっており、9月4日の明け方まで続く様だ。

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おわらの踊りは種類がある。旧踊り(豊年踊り)と新踊り。江戸から続く祭りだが、明治まで決まった踊りはなかったそうだ。大正から昭和にかけて、他地方からやってきた文人の協力を得ながら今の唄や踊りを作った。それ以前の踊りを旧踊り、以降の踊りを新踊りと呼び、新は男と女で振付が異なる。男は農作業、女は四季と蛍。
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町を単位として11町が祭りに参加する。女性は浴衣、男性は法被を着て八尾街中を踊る。町で衣装を揃えるのだが、女性だけは必ず黒い帯を巻く。喪服は殆どの家にあったからだそうだ。街の衣装を着て踊れるのは20代までらしい。編笠を深く被るには照れ隠しだったり、手ぬぐいで頭を覆っていたのが転じただったりするそうだ。
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踊りの後ろで音楽奏でる人を地方(ジカタ)と呼ぶ。構成は唄、三味線、太鼓、そして胡弓。唄は七七七五を基本とし、歌詞は町の人が作ったり文人が作ったり色々あるそうだ。囃子で胡弓を使うのは珍しく、明治以降から使われ始めたそうだ。前囃子から始まり、踊りが始まると本歌と囃子を繰り返し、最後は長囃子という構成。
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文字数が危ないので、こういった祭りは別カテゴリーで作っていこうかと思う。今回の旅の中で全て書き終えられずとも、旅が終わった後から死ぬまでに調べて作っていこう。1階にはおわら振興に貢献した川崎順二と文人たちの交流の場となった庵の名前を冠した展示室。この資料館自体、川崎順二の生家だった場所だそうだ。文人の中には、北茨城で知った野口雨情もいた。
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気がついたら2時間以上いて、資料館を出る時には職員に声をかけられた。明け方まで踊るのは最終日だけでなく、3日間全部だそうだ。この期間だけ町の生活は昼夜逆転する。例年ならこの祭りには多くの見物客が訪れ、最終日の明け方には、八尾駅に近い福島地区の町人が電車を見送りながら踊るそうだ。その後は夕方までぐっすりらしい。

八尾の町を歩く。石畳が敷かれた通りには古い家々が並んでいる。そして電柱が無い。八尾は日本の道百選の一つ、景観を崩さないよう、平成元年に石畳の敷設と同時に無電線化したそうだ。それにしても暑い。徒歩だと風が無い分余計暑い。昼飯は資料館の向かいの食堂で冷やし中華をいただいた。中部はマヨネーズをかけて食べる地域だったことを思い出した。初めて見た時は衝撃だった。
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速星駅に戻り、海風を欲して富山湾へ向かう。新湊大橋というデカイ橋、自動車道の下に歩行者用道路「あいの風プロムナード」が用意されていた。迂回しないとと思っていたので助かった。目星をつけていたところへ向かう前に、雨晴の手前、伏木で風呂を済ませる。本当毎日入らないと危険人物になるレベルの暑さだ。もう一つ公衆浴場があったそうなのだが、最近閉業になってしまった様だ。

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雨晴海岸は絶景の本で紹介されていた地域。白砂青松の彼方に立山連峰を望む景勝地、だそうだ。春先はきっと美しいに違いない。やけに綺麗な道の駅の前には鉄道が走り、踏切の向こうには小さい砂浜。立山連峰は全く見えない。
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この少し先を言ったところの海岸で良さげなところがあった。明日も無事であります様、気をつけます。
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【110】魚津-富山

秋田から気付けば700km、整備をしなければ。快活を7時過ぎに出て、日陰と水場のある場所を探し、滑川のスポーツ広場に辿り着いた。ここまで約5700km、FDのワイヤーが少しほつれ、右ブラケットカバーが裂けてしまった。走行感に異常は感じられないが、一度どこかのお店で点検してもらったほうがいいんのだろうか。

昼過ぎに整備を終わらせ、富山市へ向かう。途中ラーメン屋で富山ブラックラーメンをいただいたのだが、うまいがとてもしょっぱい。なんとも言えない味だった。富山市の中心部に入ると路面電車が走っていた。函館以来だ。車両と駅は富山の方が新しくて綺麗だ。今回は乗らないが、路面電車の走る街は憧れる。f:id:RSSHAKE:20210722233426j:image

越中富山の薬売り、反魂丹という薬は富山にきて初めて知った。売薬は江戸の富山藩が財政難から逃れるべく成長させてきた産業。配置薬は富山が始まりだったとは。売薬と共に成長したのがガラス加工、中心街の歩道にはガラスアートの展示が点在している。
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富山城址周辺は通行止め規制が敷かれていた。カースタントを伴う撮影が行われていて、有料配信チャンネルの作品らしい。城址公園には富山藩二代目藩主の前田正甫の全身像がある。この方が富山売薬の基礎を築いたそうだ。
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城址公園の北、富山駅を越えると富岩運河環水公園がある。大きい公園としか思っていなかったが、噴水、イルミネーション、想像以上だった。ここのスタバは日本一美しいとかなんとか。今日から休日で子供連れがたくさん。ちょうど夕暮れ時で、水辺には写真を撮ってる人が大勢いた。北の岩瀬からこの公園までの運河を富岩運河と呼び、運河開削で発生した土砂を神通川周辺の整備に充てるなど画期的な工事だったそうだ。周辺に工場が多く建設され水質汚染の問題を抱えているらしい。富山の街づくりの拠点として活躍している公園だった。
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色々調べたいことがあるので今日も富山駅の南にある快活へ行くのだが、駅前を走る路面電車がカッコいい。特にCENTRAMと書かれた車体は白く美しくカッコいい。富山は北関東のどの市よりも綺麗で栄えた印象だった。
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駅から南に走る大きな道路沿いにもライトアップされた噴水のある公園があった。明日も無事であります様、気をつけます。
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【109】朝日-黒部峡谷・欅平-魚津

久しぶりに夜明け前に目が覚めた。寝袋から出ていた部分が見事に痒い。先に進まなきゃならないが、黒部峡谷に伸びる線路が気になって仕方がない。こういう時は行くに限る。出発する前に、局留めされている北陸マップルを受け取らねばならない。9時過ぎ、まだ物は来ていなかった。恐らく1時間後に来るはずと局員さんが、それまで近くにある見所さんを回収する。

あさひ舟川、春の四重奏。残雪、桜並木、チューリップ、菜の花、4層の美しい景観が4月中旬頃に見られる。既に7月だが、直線の桜並木は大河原の曲線とは違った綺麗さ。並木の横には田んぼアートが。近くの泊高校の生徒が原案を作り、田植えはチューリップ農家の方と生徒数人で行ったそうだ。四重奏のチューリップ農家さん、今は1人しかいらっしゃらない様だ。
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郵便局に戻り物を受け取った。親切な局員さんありがとう。10時半、黒部峡谷へ向かうには時間的にはギリギリ。愛本駅という山の入り口にある駅まで緩い登りを17kmほど進む。今日も蒸し暑く、汗が止まらない。三大奇矯の看板を目にするが寄る余裕がなかった。愛本駅は変電所の奥にある無人駅、駅舎内には伝言板や古い看板があった。
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電車で宇奈月温泉駅まで行き、そこからトロッコ電車への乗り継ぐ。前の会社で黒部立山アルペンルートはよく見聞きしていたが、訪れるのがそこではなく宇奈月だとは...正直よく調べず勢いで来たのだが、トロッコに乗る前から山深さに驚いていた。今の時期は北信越に住む人が運賃3割引らしく、免許表面は長野の住所なのでこれ出せば...などと考えてしまったが、ケチっても仕方がない。売店でたこ焼きを買い、トロッコの普通席に座る。
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普通席に窓はなく、鎖で乗り口が塞がれるのみ。険しい峡谷の淵をトロッコは登っていく。片道1時間20分、室井滋の車内放送は軌道各所に点在する案内看板を細かく案内してくれる。f:id:RSSHAKE:20210722233159j:image
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深い峡谷に送電鉄塔黒部峡谷電源開発はくろよんダムでとても有名だが、宇奈月周辺のことは調べたことはなかった。黒部の降水量と降雪量はとても多く、長い年月をかけて水流が削ったV字谷を流れる川の勢いは強い。ここに水力発電の可能性が見出されたのが大正7年の頃。アルミ国内精錬の為の電力を作り出す為に峡谷の調査始まった。大正12年には宇奈月から猫又というところまでの軌道が開削され、日電歩道という、今の黒四地区までの調査歩道の開削も始まった。昭和15年(1940年)には欅平までの電車が通じ、黒部第三発電所が建設された。f:id:RSSHAKE:20210723070622j:image
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戦後、経済復興の時期、関西は電力不足の問題を抱えていた。一般家庭では週3日の休電日があったり、昼間の停電もあったそうだ。この問題に取り組んだのが関西電力。世紀の大工事、黒部ダムと黒部第四発電所の建設に至る歴史は小説、映像作品でも取り上げられる。宇奈月から欅平まではクロヨンに至る歴史を辿る道だった。

欅平までの長いトンネルで久しぶりに寒さを感じた。開発が進む前、この地域には欅が広がっていたそうだ。欅平駅から散策を始める。メインスポット猿飛橋への散策道は未整備で行かれない。奥鐘橋、人喰い岩、名剣温泉を見て回った。f:id:RSSHAKE:20210723070833j:image
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ロッコ電車の最終は16時42分。大体1時間ちょいの散策だった。時間に余裕があれば祖母谷地獄まで行きたかったが、それはまた別の機会に。最終列車には仕事を終えたであろう作業員の方もいた。トロッコ電車は観光用だけじゃなく工事作業員用の列車もあり、観光用では途中止まらない駅に止まる。帰りの室井滋案内放送は静かだった。日が沈み、トンネルの中はとても寒い。宇奈月湖の湖面にはモヤが出ていた。f:id:RSSHAKE:20210723080156j:image
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18時30分頃愛本駅まで帰ってきた。来て本当によかった。実はここに興味を引かれたきっかけが、衛生写真で出てきた宇奈月温泉木管事件碑だったのだが、宇奈月温泉駅から徒歩で1時間かかるところにありいけなかった。バッテリーが空なので今日は魚津の快活へ向かう。道中左手に見える山の連なり方が美しい。f:id:RSSHAKE:20210723080200j:image

明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210723131454j:image

 

【108】上越-朝日

長野県大町から国道148号を北上すると白馬、小谷を通り抜け糸魚川に繋がる。そこより西、金沢以外は行ったことがない。長野への分岐を過ぎた所から色々行奴は後半に入る。

交通量が多く路肩が狭い国道8号に沿う様に、久比岐自転車道上越から糸魚川まで繋がっている。国鉄時代の北陸本線の廃止された区間を活用してできた道だそうだ。久比岐凛という、頭がでかい萌えキャラが目立つ。元々線路なので平坦で走りやすい。休憩所や給水箇所が多く設置してあり、複数箇所でレンタサイクルもしている。この海沿いを夕日を見ながら走るのは相当気持ちがいいだろう。f:id:RSSHAKE:20210721075138j:image
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快適な約30kmを走り終え、糸魚川に着いた。ヒスイやフォッサマグナミュージアム、聞いたことのある言葉だらけだ。それもこの分岐を進めば終わる。いよいよ半分、折り返しだ。f:id:RSSHAKE:20210721081027j:image

新潟と富山の県境、親不知・子不知。路肩狭い、ダンプめっちゃ通る、坂、難所としてよく紹介される場所だ。富山へ行くにはここを通るしかない。おそらく開始地点と思われるところで写真を撮るが、本当に狭い。

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自転車1台が路肩にギリギリ収まるくらい、海側に至ってはそれすらない。現在2箇所で片側交互通行規制がされており、おかげで坂のきつい箇所は比較的安全に走れる。時折トンネルから見える海と崖が綺麗だが、よそ見をすると本当に危険だ。ようやっと小さな展望台がある駐車スペースまで着き一息つける。
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天険、非常に険しい地。明治天皇が北陸を巡幸した際にはこの海岸沿いを避けて山間の悪路を通った。(この巡幸は2年がかりだったらしい。)そこから親不知の道路建設が始まった。現在の旧道(天険親不知線)、国道8号北陸道、そして海岸沿いの険しい道、四世代の道路を一望できる東屋が旧道にあった。親子でさえ、ここを通る人間は他を顧みてはいけない、それが親不知・子不知の一説。

東屋の隣にはウォルター・ウェストンの全身像があった。宣教師であり登山家でもある彼の碑は上高地にもある。北アルプスを登り、その内容を記した本を出版したのは大体1900年頃。上高地で働いていた時、最初に覚えた人だった。ここが北アルプスの起点として、親知らずにも訪れた様だ。上高地以来、お久しゅう3年ぶり。
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親不知を超え、富山県に入った。道沿いのドライブインで風呂を済ませ、目星をつけいていた海岸沿いへ進む。キャンプ場があったのだが、事前予約必須、現時刻は18時。先へ進んだところに良さげな東屋があり、ここで野宿となった。新潟からずっと夕日を見てきたが、今日はとびきり綺麗に見える。海に太陽が沈む間際、能登半島の形がはっきりと見えた。あそこへ行くのは何日後になるだろうか、いやしかしでかい。

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明日も無事でありますよう、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210722183655j:image