【111】富山-越中八尾-雨晴

おわら風の盆。富山といえばこのお祭りということだけは家を出る前に調べていた。越中八尾にこの資料館がある。連日のこの暑さで八尾まで自転車で行くのはしんどすぎるので、速星駅から八尾駅まで電車を使う。

資料館の開館は9時で、八尾駅に着いたのは8時半。資料館は駅から離れた町中にあるので歩いていけばちょうどいいのだが、電車接続のコミュニティバスが止まっており、せっかくなので乗る。左回りと右回りの2種類あり、今回乗ったには右回り。資料館へは遠回りの経路で運転手さんはそれを気にかけてくれた。経路と町を見られると思えばそれも良い。

八尾は坂の町、マイクロバスは法定速度で登っていく。川沿いにはスポーツ施設等、色々揃っていた。帰りにバスを使うようなら、目立つ様に手を振ってくれと運転手さんが教えてくれた。バス停は目立たなく、手を振ってくれたらそこで停まってくれるそうだ。

そんなこんなで資料館に着いた。祝日なので国旗が掲揚されている。資料館は2階建、一階はスクリーンとおわら節の振興に尽力したある方の展示、二階はおわら風の盆の歴史、衣装、おわら節、踊りの展示がある。「おわら」は江戸まで遡る、その由来は大笑い、大藁、小原の3説ある。必ず9月1日から3日までの期間で行われる。この時期を二百十日、収穫前の台風被害が多い時期で、風を鎮める祈りを込めての祭りがおわら風の盆。実は8月31日の夜更けから始まっており、9月4日の明け方まで続く様だ。

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おわらの踊りは種類がある。旧踊り(豊年踊り)と新踊り。江戸から続く祭りだが、明治まで決まった踊りはなかったそうだ。大正から昭和にかけて、他地方からやってきた文人の協力を得ながら今の唄や踊りを作った。それ以前の踊りを旧踊り、以降の踊りを新踊りと呼び、新は男と女で振付が異なる。男は農作業、女は四季と蛍。
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町を単位として11町が祭りに参加する。女性は浴衣、男性は法被を着て八尾街中を踊る。町で衣装を揃えるのだが、女性だけは必ず黒い帯を巻く。喪服は殆どの家にあったからだそうだ。街の衣装を着て踊れるのは20代までらしい。編笠を深く被るには照れ隠しだったり、手ぬぐいで頭を覆っていたのが転じただったりするそうだ。
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踊りの後ろで音楽奏でる人を地方(ジカタ)と呼ぶ。構成は唄、三味線、太鼓、そして胡弓。唄は七七七五を基本とし、歌詞は町の人が作ったり文人が作ったり色々あるそうだ。囃子で胡弓を使うのは珍しく、明治以降から使われ始めたそうだ。前囃子から始まり、踊りが始まると本歌と囃子を繰り返し、最後は長囃子という構成。
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文字数が危ないので、こういった祭りは別カテゴリーで作っていこうかと思う。今回の旅の中で全て書き終えられずとも、旅が終わった後から死ぬまでに調べて作っていこう。1階にはおわら振興に貢献した川崎順二と文人たちの交流の場となった庵の名前を冠した展示室。この資料館自体、川崎順二の生家だった場所だそうだ。文人の中には、北茨城で知った野口雨情もいた。
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気がついたら2時間以上いて、資料館を出る時には職員に声をかけられた。明け方まで踊るのは最終日だけでなく、3日間全部だそうだ。この期間だけ町の生活は昼夜逆転する。例年ならこの祭りには多くの見物客が訪れ、最終日の明け方には、八尾駅に近い福島地区の町人が電車を見送りながら踊るそうだ。その後は夕方までぐっすりらしい。

八尾の町を歩く。石畳が敷かれた通りには古い家々が並んでいる。そして電柱が無い。八尾は日本の道百選の一つ、景観を崩さないよう、平成元年に石畳の敷設と同時に無電線化したそうだ。それにしても暑い。徒歩だと風が無い分余計暑い。昼飯は資料館の向かいの食堂で冷やし中華をいただいた。中部はマヨネーズをかけて食べる地域だったことを思い出した。初めて見た時は衝撃だった。
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速星駅に戻り、海風を欲して富山湾へ向かう。新湊大橋というデカイ橋、自動車道の下に歩行者用道路「あいの風プロムナード」が用意されていた。迂回しないとと思っていたので助かった。目星をつけていたところへ向かう前に、雨晴の手前、伏木で風呂を済ませる。本当毎日入らないと危険人物になるレベルの暑さだ。もう一つ公衆浴場があったそうなのだが、最近閉業になってしまった様だ。

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雨晴海岸は絶景の本で紹介されていた地域。白砂青松の彼方に立山連峰を望む景勝地、だそうだ。春先はきっと美しいに違いない。やけに綺麗な道の駅の前には鉄道が走り、踏切の向こうには小さい砂浜。立山連峰は全く見えない。
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この少し先を言ったところの海岸で良さげなところがあった。明日も無事であります様、気をつけます。
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