【50・51・52】寿都-岩内-余市-札幌

寿都から札幌までの間、この旅を続けるべきかどうか悩んでいた。親切にしてくれた民宿のおばあちゃんがもし、私が原因で万が一コロナになってしまったらと想像する。今まで人との距離が近い宿は避けてきた。今の自分の行動は世情から見れば相当迷惑な行為だ。なら小樽に着いたらフェリーに乗って家へ戻るか、旅が終わったら次にやることははっきりし始めた、それをいまなら金がまだあるうちに始められる。戻って働いて、コロナが落ち着いたら小樽から旅を始められたら。こう考えているのはダメだ。進んでいない。

通る地域の人々のこれからを壊さないために、感染症対策は怠らず、無事家に戻る。結論は出た。

緊急事態宣言は延期されるだろう。道営の野営場閉鎖も続き、北海道にいる間は寝床の確保にずっと困るのだろう。公営野営場の豊富さ、北海道の魅力のひとつを今まったく感じることができないが、仕方がない。

 

寿都から天候に恵まれず、余市から札幌までは行ったことがあり写真があまりない。

鰊御殿f:id:RSSHAKE:20210526072250j:image

岩内の夕方、少しの晴れ間f:id:RSSHAKE:20210526072244j:image

曇りの神威岬f:id:RSSHAKE:20210526072254j:image

小樽の中心から外れたところf:id:RSSHAKE:20210526072247j:image

明日も無事でありますよう、気をつけます。

【49】大成-寿都

朝5時、風は弱まり、雨も降っていない。やっとここから動ける。

 

せたな町へ向かう道を海側にするか山を超えていくか悩んでいたが、結局海側に決めた。

出発してすぐに太田神社が見えた。日本一危険な神社としてよく紹介されている。f:id:RSSHAKE:20210525160152j:imageその理由は参道が急斜面の山道だからだ。入り口の階段には上からロープがおろしてある。登った時の景色は良いが、今日は曇りで昨日は雨、入り口に橋が壊れているとの看板がある。f:id:RSSHAKE:20210525160218j:image元々登る予定はないので、入り口の賽銭箱へお参りし、少し離れた拝殿に一礼して出発した。

 

雨が降りはじめ、レインウェアを着て走る。当然カメラは取り出せず、ただただ走るだけ。そしてようやっとせたな町につき、銭湯に入る。昼ごろまた動き始め、目的地であった島牧の道の駅までやってきた。まだ雨は降り続く。建物的にテントはダメそうだ。この先にある2つの野営場に希望を託すが、どちらも緊急事態宣言で閉鎖、ロープがガチガチに張られている。寿都(すっつ)まで行くしかない。長い登坂の始まりから雨足は増し、体温が下がる。やっと18時30分ごろ寿都につき、近くの民宿に電話する。素泊まりならOKの返事をいただけた。本当によかった、この時、雨具はただの上着になっていて、服はびしょ濡れ。

 

110km走行した。しかしその距離にも関わらず、写真は撮れない、疲れる、何も収集がない。雨の日にこんな距離走ったのがいけなかったのだろうか。

 

民宿の方はとても親切にしてくれた。日本を周った人が、後々民宿やライダーハウスを開くという話はきっとこういう経緯が一つあるのだろう。本当に嬉しかった。しかし引っかかるものを感じ、部屋で座ってしばらく考える。

やはり70-80kmあたりで上限とするのがいい。明日も無事でありますよう、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210525160305j:image

【48】大成強風ストップ

目が覚めると強風が吹き荒れている。テントが左右に大きく揺れる。元々今日は雨予報だったので、テントを張っている場所から動かないつもりだったが、正しくは動けない、だった。

 

今までは走ってもせいぜい70-80kmだった。しかし北海道で日単位この距離だと、7月初旬までに函館へ戻れない気がする。かといって距離を稼いで走るだけではカメラを持ってきた意味がない。悩みどころだけど、明日はとりあえず100km付近を目指してみる。

 

スーパーカブが面白い。小説を3巻まで買った。小説が元のアニメはセリフが少なく、そのぶんBGMが印象的になる。小説を読むと、あのBGMが流れてた部分の裏ではあの地の文が流れているのかと思うと一層面白い。

 

夕方には風が一旦止み、晴れ間が少し見えた。f:id:RSSHAKE:20210522124330j:image
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しかし夜になるとまた強風が吹いた。明日は風も雨も止むと良いのだか。

 

明日も無事でありますよう、気をつけます。

 

 

【47】江差-せたな町大成

修道院について調べるのに結構時間がかかり、加えて記事吹っ飛びはしんどかった。

昨日の天気予報、江差は曇り予報だったが、雨が降り始めたら止まない。近くのキャンプ場でテントを張ろうと時期を伺ったが諦めた。肉を焼こうと意気込んで買ったが大失敗。泣く泣く近くにビジネスホテルに泊まった。

本日、まずはそのお肉をたべなければならない。

 

天気は快晴。これが昨日の夕方からであったのなら、自然なので仕方がない。江差観光のメインは鴎島(かもめじま)、開陽丸の2つのようだ。

鴎島は昔は弁天島と呼ばれていたようだ。f:id:RSSHAKE:20210521112538j:image蕪島と似たような由来だ。江差にたどり着くと、見える風景は鎌倉と江ノ島によく似ている。この島の上でキャンプができるのだが、島へ登るには階段しかなく、キャンプサイトは島の端っこ、荷物を持っていくだけで大変えらい。でもその大変さを受け入れても良いほどに景観が優れている。

いいところでバーナーをセットして肉を焼く。ちょうど奥尻島からのフェリーが見えた。汽笛が鳴り、肉が焼けた。うまい。江差の街並みとフェリーを眺めながら食事ができるのは、昨日の雨のおかげなのかもしれない。f:id:RSSHAKE:20210521112640j:image

島は南北に伸び一周すると大体1時間半はかかる。灯台幸せの鐘千畳敷、台場後、見所は結構ある。釣り人が複数いたが、どの人も凄い場所で釣りをしていた。島を降りる途中に人馴れした猫がゆっくりと階段を降りていた。f:id:RSSHAKE:20210521112751j:image
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鴎島の近くには復元された開陽丸がある。歴史は好きだが幕末は苦手。開陽丸は徳川幕府の主力戦艦としてオランダで造船された。造船が盛んだったオランダでも、開陽丸は地元民の話題に上がるほど大きな船だったらしい。旧幕府軍の戦艦となり、大阪から江戸、仙台、宮古を経由して蝦夷まで逃れてきた。その最後は江差沖で暴風雨に晒され座礁

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戦艦設備に関しては全く頭に入らなかったが、沈没した開陽丸の引き揚げ調査、遺物保存事業は水中考古学として有名だが日本では全く認知されていないらしい。私は全く知らなかった。

昼手前に開陽丸を後にし進む。ラッキーピエロがある。函館にしかないと思っていた。

 

ここから先は進むだけだったが、「〜澗」という地名や橋がとても多いことが気になった。道南周辺はニシン漁で栄えたが、大漁の時は捌ききれず海に網を放置し、流されてしまうことがあったそうだ。それを防ぐために袋澗(ふくろま)という石堤を設けた。それがいろんな地域にあるので「地域の名+澗」となったのではないか。調べたのが寝床を確保してからなので、もっとよく見ておけばよかった。これから先は注視しよう。

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当てにしていた野営場はコロナで閉鎖、道の駅には看板が。近くの海水浴場の目立たないところで野営となった。

 

明日に無事でありますよう、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210521113411j:image

【44・45・46】函館-知内-松前-江差

書いておりましたが、全て吹っ飛んでしまったので、写真のみ載せます。。。

 

当別トラピスト修道院

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道中の芝桜
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知内町の霧と火力発電所
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新幹線
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道南端白神岬
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松前城藩屋敷。コロナで外観だけしか見れない。
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上ノ国町
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江差で雨が降り続け、泣く泣くビジネスホテル。
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