【43】函館ストップ

スーパ銭湯のような所では貴重品の管理は相当注意しなければならない。カメラのウェストポーチを抱えて壁に向かって寝た。

夕方から雨が降る。松前へ移動しては必ず途中で降られる。バッテリーの充電も切らしているため、久しぶりに快活クラブを利用する。

 

曇りだが、五稜郭だけ見に行く事にした。今日から北海道全域で緊急事態宣言が発令される。その為、五稜郭タワーは臨時休業だった。

五稜郭は公園として道民に親しまれ、中には復元された函館奉行所が建っている。

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入口を撮影しているとウォーキングの方が話しかけてくれた。今は見頃と見頃の間の時期らしい、6月ごろになれば入り口の藤棚が紫一面になるそうだ。f:id:RSSHAKE:20210518170430j:image

 

日米和親条約で下田と函館の開港が決定した時、函館奉行所は元町、今のロープウェイがある周辺にあった。砲撃の射程圏内(約2.5km)である事と防御に適さない等の理由で今の位置への移設の意見書が幕府に出されれた。移設してわずか数年で江戸幕府は終わり、奉行所は明治政府へと引き渡されるが、その後旧幕府軍が函館へ逃げ、五稜郭を占領した。

 

奉行所は2010年に復元工事が完了した。自分が学生の時に工事をしていたことは知らなかった。中を見学する。JAFの会員ならポストカードをくれる。元の奉行所の1/3の規模で復元をしたようだ。一〜四の間と、太鼓櫓、釘隠しが印象に残った。釘隠しは区画の格式によって3種類に分かれているそうだ。

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奉行所を後にし、星型土塁の上を歩く。星型の要塞は世界複数あり、世界星型城郭サミットが開かれているらしい。ランニングやウォーキングをしている人が多い。公園の外側の通路は確か1周1.8kmと書いてあったような、5周すれば大体10kmでキリがいいのは魅力だ。

 

函館に着いたら自転車を見てもらおうと、自転車屋さんを1箇所伺った。ちょうど修理の作業の最中で全て見ることはできなかったが、ブレーキを見てもらうことはできた。

 

昼飯をハセガワストアの焼き鳥弁当にしようかと走っていると、家系ラーメンの看板を目にしてしまう。おそらくこの先絶対にこういう店はなさそうなので、入った。長野で会社員だった時に通っていた家系ラーメンがその類で一番美味しかった。その店は潰れてしまいもう食べられないが、その味に一番近いラーメンだった。

 

電気屋を巡り三脚を探す。3000円くらいで、軽くて使いやすそうなのがあった。荷物が増えるができることも増えるのでよしとする。レリース買おうか迷ったけれどスマホのリモートがあるので買わないことにした。

 

雨が降りそうな頃快活に入る。ブログの管理と、4月の出費詳細を作る。

 

明日も無事でありますよう、気をつけます。

 

 

 

【42】大間-函館

日の出を寝過ごして起きたのは5時頃だった。14時10分函館行きフェリーに乗って本州を出る。それまでに自転車整備とタイヤのローテーションを終わらせる。

ここまでの走行距離は約1900kmだった。現状、リアディレイラーのロー側3段目が不安定、リアブレーキの遊びが大きい以外の不具合は見られない。ブレーキシューの摩耗具合はおそらく半分、チェーンの伸びもまだ大丈夫そうだ。キャリアとタイヤを外した状態の自転車を久々に見る。普段拭けない所も拭き、大体3時間ほどでやり終えた。写真を撮るのをすっかり忘れた。

11時半過ぎに大間テントサイトを出る。ここは無料でテントを張ることができ、炊事場があり、きれいなトイレもあり、設備は整っている。こういう施設は本当にありがたい。

 

昨日デルウィンさんは、本当に良い大間のマグロは外に出てしまうから、ここらで食べられるものは値段の割には世間で言われるほどすごいおいしいものではない、と言っていた。それは実際に食べてみなくてはわからない、値は張るが。

「大間んぞく」というお店のウニまぐろ丼をいただいた。マグロは、口に入れた後の味の続き方が地元のスーパーで食べる刺身と異なる、強く長く味が残る感じがした。マグロもウニめちゃくちゃうまい。

 

大間ターミナルにはフェリーが接岸していた。初フェリー。f:id:RSSHAKE:20210517063833j:image
受付開始まで1時間ほどあったので、周辺を見てまわる。ターミナル1階は受付、2階には売店と徒歩旅客の搭乗口がある。吹き抜けにはマグロの像が建っている。

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フェリーの名は大函丸。車の搭乗口が開いている。船体には大きく津軽海峡フェリーの文字とイルカのマスコットが描かれている。名前はあるのだろうか。

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二輪車は最初に搭乗する。私の前には2台バイクがいて、どちらもホムセン箱やキャリアを積んでいる。搭乗し壁際に停めると、自転車は紐で縛られスコッチをかけられる。乗船完了、早い。客席へと登るエスカレーターがある。驚いた。

 

一番安いスタンダード席は雑魚寝の床、2階と3階の一部にある。きっと3階は穴場だろう。船橋甲板に上がると椅子が設置されたスペースがある。快晴で眺めは良い。船が出航するその前に自販機でサッポロクラシックと菓子を買っておいたので、遠くなっていく本州を眺めながら飲んだ。サッポロのビールはマジで美味い。f:id:RSSHAKE:20210517064151j:image

 

航行時間は1時間半、そのうち1時間はずっと甲板にいて写真を撮っていた。船は時速約30kmで進んでいた。こんなでかい船が原付と同じ速度を出すとは。少し疲労を感じたのは意外だった。

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下船準備のアナウンスが鳴る。今度は3番目だ。車とバイクが船を出た後に自転車が出る。出口が開き山の裾野が見える。遂に北海道に入った。f:id:RSSHAKE:20210517064354p:image

とりあえず函館ターミナルに入る。さてこれからどうするか、全く考えていなかった。時刻は16時過ぎ、風呂に入らねば。24時間やっているスーパー銭湯が少し離れたところにある。やったぜ。

 

函館にはラッキーピエロがあると姉から教えてもらった。通称ラッピ、ハンバーガーやカレー、オムライスを販売しているご当地バーガー屋さんで有名。ターミナル近くの店舗に入ると、エルヴィスプレスリー激推しのファミレスのようなところだった。メニューが豊富すぎて迷う。とりあえず人気No. 1のチャイニーズチキンバーガーセットを頼んだ。マグカップに入ったポテトにはミートソースがかかっている。美味かった。店舗によって内装が異なるらしく、ラッピ巡りする人もいるらしい。マグカップが欲しいので、函館に戻ってきたときに買おう。f:id:RSSHAKE:20210517064512j:image

 

先の銭湯、湯の箱こみちに着いた。入浴料600円先払いで、その後退館するまでの滞在時間に応じた料金を後払いするシステムだ。風呂は結構な種類があり、水風呂もサウナもあった。2階には仮眠室があり布団も敷ける。寝るまでに今まで投稿できてなかったブログを書いて眠りについた。デカいびきをかくひとがいた。あんな音でてるのに本人が起きないのは不思議だ...

 

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【41】薬研-大間

雨上がりの快晴は最高だ。テントはよく乾くが、日焼けが進むのが困り事。遂に本州最北端、大間崎に行く。

薬研野営場を出る前に施設の写真を撮る。いいところだった。去年よりも人は来ているそうだが、それでも少ないらしい。

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県道279号へ合流するまでの山道、ガードレールに小目名(こめな)神楽の絵が書いてある。後で調べよう。

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大畑で279号に合流する。道が新しい。橋から尻屋崎がうっすらと見える。風間浦村を通り大間へ向かうこの道は海沿いの景色、遠くに北海道を見ながら走れる快走路だった。f:id:RSSHAKE:20210516070747j:image
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目の前に広がる山が少なくなる頃、遂にこの青看板が出てきた。f:id:RSSHAKE:20210516070909j:image

ここから3kmほど進むと、大間崎に到着。あのマグロと腕のモニュメント、1998年に建てられたのか、意外に新しい。すぐ近くのお土産屋さんで、欲しかった下北半島のキーホルダーと最北端到達証明書を買う。f:id:RSSHAKE:20210516070941j:image
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モニュメントの近くには休憩所があり、そこには大間についての案内板が複数ある。ブラキストン線についての板が一番興味をそそられるf:id:RSSHAKE:20210516071446j:image
f:id:RSSHAKE:20210516071442j:image青函トンネルができた後、青森でキタキツネの生息が確認されているそうだ。エキノコックスマジ怖い。

 

大間岬から南へ降るとやっとコインランドリーがあったので洗濯を済ます。待っている間、デルウィンさんという方が声をかけてくれた。写真をよく撮るそうで、特に野鳥の撮影が大好きだそうだ。港へウミネコを撮りに行くことになった。

コロナが広まる前までは東京にいたそうだが、友人のつてで今は大間に住んでいるそうだ。今年に冬は特に寒かったらしい。

日の入り前で鳥がいない、デルウィンさんが食パンをちぎり、海に投げてしばらくすると一羽やってきた。いったいどこからきたのか。すぐに十数羽が群がってきた。f:id:RSSHAKE:20210516071020j:image
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f:id:RSSHAKE:20210516071034j:image最後に一緒に写真を撮り別れる。マグロより牛の方が美味しいとの事だ。

 

テントサイトに戻り、設営してモニュメントと夕日を撮りに行く。撮ろうと思って撮るのは初めてかもしれない。f:id:RSSHAKE:20210516074706j:image
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今日は空にISSが見えるらしい。関東は31℃を超えたそうだ。ここは14℃だった。快晴で星が広がっている。頭だけ出して星空を眺めた後、眠りについた。

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【40】むつ-恐山-薬研

2日前に会ったツナギのお兄さんが言っていた恐山はむつ市にある。偶然にも泊まった宿が恐山への道の入り口にあった。宿の職員さんはぜひ訪れていただきたいと、青森出身の大学時代の友人もぜひ行ってみてと、恐らくここを通るのは一回しかない、行くに決めた。

久しぶりの山道、勾配は11%となかなかエグい。 f:id:RSSHAKE:20210515220114j:image自転車を押してばかりいたリアス式海岸沿いを懐かしみながら自転車を押す。汗が止まらない。中間あたりで恐山冷水があった。f:id:RSSHAKE:20210515220016j:image
f:id:RSSHAKE:20210515220009j:image「れいすい」ではなく「ひやみず」。不老水とも書かれ、飲めば寿命が長くなるとか。一杯で10年二杯で20年、三杯で死ぬまで生きる、とネットにはあるが、三杯目の意味がさっぱりわからない。ここは俗世界と霊界の境目であるとも書かれている。寒いのはそのためだろうか。大型貸切バスが3台連行で登っていく。学校行事だろうか。排気が際立って匂う。

 

残り半分をなんとか登り切り、宇曽利山湖が見えてきた。強い硫黄臭が漂っている。草津温泉よりも強い。f:id:RSSHAKE:20210515220433j:image

宇曽利とはなんなのか。調べてみるといくつか説が見つかる。アイヌ語が形を変えて宇曽利となった説は二つ見つかり、一つは「ウショロ」もう一つは「オソルコ」。恐山菩提寺が円仁によって開かれたのは862年、平安時代で征夷が始まったのは700年代頭から、そうなるとアイヌ語由来が強いだろうか。

入山料を払い恐山菩提寺に入る。f:id:RSSHAKE:20210515220808j:image
f:id:RSSHAKE:20210515220812j:image寺院の知識がないため、詳細が頭に入らないが、霊場である事は場の雰囲気から伝わる。積み上げられた石、回る風車は亡くなってしまった子どもを供養するためのもの。手向けられた草履や布は、あの世への旅たち、又は現世に帰ってきた時のための物。名前が彫ってある石もあり、それらをみながら、立ち止まり、ゆっくりと進んでいく。足元に注意しなければ、積まれた石を崩してしまうかもしれない、緊張した。f:id:RSSHAKE:20210515220837j:image
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順路後半には極楽浜と名付けられた白い浜がある。地獄の灰色が一変、この白さ。f:id:RSSHAKE:20210515220904j:image

山門を出て、蓮華庵という食事処でカレーを食べる。何故か自転車で来た事を当てられ、大盛りにしてくれた。いつみられていたのだろうか。

 

今夜は雨が降る。大間まで行きたいが恐山を出るには必ず坂を登る。海沿いへの道に薬研(やげん)野営場があるので、大間へは明日向かうことにした。

ピークは恐山を出たあとだった。気づくと後頭部に大量の虫が飛んでいる。足を止めると目に近づいてきたり、荷台のタオルに群がったりする。後で調べると、メマトイというハエだったのかもしれない。下りになれば速度も出て虫たちはいなくなった。

 

15時ごろ薬研野営場に到着した。看板に「有料キャンプ場」と目立つ紙がある。f:id:RSSHAKE:20210515221622j:imageしれっとテント泊する人が多いのだろうか。受付を済ませると、おっちゃんが名刺くれと言ってきた。どうやら日本一周している人のブログをよくみているらしく、私もその一種なので聞いたそうだ。作っておいた方がいいよと言われる。嫌だけど、このブログのURLとQRコードの紙くらいは用意した方がいいかも。

2.5kmほど先に進んだ奥薬研に、かっぱの湯があることを教えてくれた。洗剤使用禁止の温泉で、タダで入れる。歩いて向かおうとしたらおっちゃんが、「自転車の方がいいぞ」と声をかけてくれた。けど歩きたいので優しさだけ受け取っておく。

 

かっぱの湯は男女の入浴時間が交替で回る温泉だ。そばには川が流れ、良い匂いが薄く漂ういいところだった。かっぱの湯の由来、円仁がここにきた際に足を滑らせ怪我をし、そこにかっぱが現れて円仁をフキの葉で包んだ、円仁が目を覚ますと湯の中におり、怪我はすっかり治っていたという。湯船にはかっぱの像があった。f:id:RSSHAKE:20210516054705j:image

 

野営場へ戻る道にはでかい廃旅館があった。昔はこれが埋まるほど人が来ていたのだろうか。f:id:RSSHAKE:20210515221913j:image

テントの中に入り寝袋に包まれると、気がついたら眠っていた。雨音で目が覚めると夜中の1時。薬研に来ておいてよかった...

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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【39】陸奥横浜-尻屋崎-むつ

4時に起き、テントを片付け終わったのは5時半ごろ。一部見える青空に晴れてほしいと願う。菜の花スポットは、道の駅よこはまを中心に南北2箇所ある。まずは南の牛の沢交差点へ向かう。

 

だんだんと晴れてきた。菜の花が畑一面に咲いていた。f:id:RSSHAKE:20210515125335j:image

通勤車が数台通る。見慣れた景色なのだろうか、でも視線は若干菜の花に傾いていた気がする。とても綺麗だ。灰色の雲が残っている青空と、眩しい黄色の菜の花が見れるのは運が良かった。
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次に目指すのは、北の自然園(じねんえん)。例年なら菜の花フェスティバルが開催され、菜の花を一望できる展望台も設置されるのだが、今年も中止になってしまったようだ。開花宣言は4月30日で、今が一番の見頃かもしれない。そう思う程に菜の花が綺麗に輝いて見えた。

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CLANNAD After Storyのエンディング「TORCH」に菜の花と建物のカットがあって、自然園がそのモデルだ。TORCHすごい好き。

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牛沢交差点に着いた時からCLANNADのサントラを流していた。この菜の花を見ながら聴いた「夏時間」「願いが叶う場所」「空に光る」「影二つ」「白詰草」「はるかな年月」「カントリートレイン」「渚」「小さな手のひら」はもうやばかった。サントラは3枚組なのだが、2周はしていたはずだ。

太陽が雲に隠れた頃に陸奥横浜を後にする。ありがとう天気、菜の花、陸奥横浜、今日のことは絶対に忘れない。f:id:RSSHAKE:20210515125511j:image
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尻屋崎へ行くにはこれがベストであると判断し、レンタカーを予約していた。下北駅のガソスタに併設されたレンタカー屋さんへ向かわなければならない。11時に予約し今は10時、1時間しかない。今までで一番必死にペダルを漕いだ。途中、看板を掛けたザックを背負い歩いている人を見かけた。とても声をかけたいが、時間がないので通り過ぎた。

なんとか下北駅につき、車を渡される。

f:id:RSSHAKE:20210515125802j:image新車のハスラー、積算走行距離二桁。まじか。1ヶ月弱車を運転していないので余計不安になる。しかし運転席に座れば何故か体は運転を覚えている。不思議なことだ。

車は偉大だ。尻屋崎への40kmを1時間ほどで行けてしまう。坂も何もその、右足を強く踏み込めばエンジンが車を動かす。日常で使っていた以上にこれはすごい物なんだと感じる。自転車で行っていたら早朝に出ていても帰るのは日が暮れてしばらく経っているだろう。

尻屋崎へ近づくと大きな工場がある。尻屋崎に聳える桑畑山は石灰資源が豊富で、戦後ここから多くの石灰を採取し、製鉄用、セメント用に姿を変え北海道、東北の発展を支えてきた。

工場を越えると尻屋崎灯台へのゲートがみえてくる。先に進むと、お馬さんが道を歩いてる。f:id:RSSHAKE:20210515125907j:image立馬(かんだちめ)という馬で、年中ここで放牧されている。ガタイがよく、特に足が特徴的だ。f:id:RSSHAKE:20210515125935j:image

 

尻屋崎の冬は-20℃近くまで気温が下がり、吹雪が吹き荒れる。寒立馬は冬もここで過ごす。なんてすごい馬なのだ。人慣れして大人しい性格なので、車が横を通っても気にしていない。昔は農耕用の馬として人と共生していたが、農業の機械化が進むにつれその数は減り、1995年には9頭まで減ってしまった。以降、保護活動によって頭数は回復し現在に至る。「四季置附」「野放馬」という通称もあったようだ。不思議なことに寒立馬は「シコタンキンポウゲ」という草は食べないらしい。この花は絶滅危惧種に指定されていて尻屋崎に咲いている。なんて不思議なことだろう。f:id:RSSHAKE:20210515130006j:image
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魹ヶ崎灯台で尻屋崎灯台の文字を見かけたのがここに来た理由だ。尻屋崎灯台は1876年に建造され、付近を通る船舶の道標として活躍している。1945年に戦闘機の掃射で灯台の職員が1人殉職してしまい、灯台も破壊されてしまった。復旧していない時に灯る不思議な現象も確認されたそうだ。f:id:RSSHAKE:20210515130048j:image

 

振り返ると桑畑山が見える。f:id:RSSHAKE:20210515125831j:image形がはっきり見えて綺麗だ。西ゲートから入り東ゲートへと抜ける。せっかく車できたので、無理やりスマホダッシュボード上に貼り付け車載動画を撮ってみた。

立馬に別れを告げ、むつ市へ戻る。返却時刻ちょうどにレンタカーを返す。予定通りは気分がいい(虹村形兆)

 

その後大湊駅に訪れる。終着駅だ。電車が来る時間じゃないとホームに入れないが、入場券を買った旨を伝えると駅員さんが入れてくれた。

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本当は近くのキャンプ場へ行こうかと思っていたが、函館までの最後の宿としてビジネスホテルを予約した。TVがキャスト対応だったのでゆっぺ旅を流しながら眠りについた。

 

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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