修道院について調べるのに結構時間がかかり、加えて記事吹っ飛びはしんどかった。
昨日の天気予報、江差は曇り予報だったが、雨が降り始めたら止まない。近くのキャンプ場でテントを張ろうと時期を伺ったが諦めた。肉を焼こうと意気込んで買ったが大失敗。泣く泣く近くにビジネスホテルに泊まった。
本日、まずはそのお肉をたべなければならない。
天気は快晴。これが昨日の夕方からであったのなら、自然なので仕方がない。江差観光のメインは鴎島(かもめじま)、開陽丸の2つのようだ。
鴎島は昔は弁天島と呼ばれていたようだ。蕪島と似たような由来だ。江差にたどり着くと、見える風景は鎌倉と江ノ島によく似ている。この島の上でキャンプができるのだが、島へ登るには階段しかなく、キャンプサイトは島の端っこ、荷物を持っていくだけで大変えらい。でもその大変さを受け入れても良いほどに景観が優れている。
いいところでバーナーをセットして肉を焼く。ちょうど奥尻島からのフェリーが見えた。汽笛が鳴り、肉が焼けた。うまい。江差の街並みとフェリーを眺めながら食事ができるのは、昨日の雨のおかげなのかもしれない。
島は南北に伸び一周すると大体1時間半はかかる。灯台、幸せの鐘、千畳敷、台場後、見所は結構ある。釣り人が複数いたが、どの人も凄い場所で釣りをしていた。島を降りる途中に人馴れした猫がゆっくりと階段を降りていた。
鴎島の近くには復元された開陽丸がある。歴史は好きだが幕末は苦手。開陽丸は徳川幕府の主力戦艦としてオランダで造船された。造船が盛んだったオランダでも、開陽丸は地元民の話題に上がるほど大きな船だったらしい。旧幕府軍の戦艦となり、大阪から江戸、仙台、宮古を経由して蝦夷まで逃れてきた。その最後は江差沖で暴風雨に晒され座礁。
戦艦設備に関しては全く頭に入らなかったが、沈没した開陽丸の引き揚げ調査、遺物保存事業は水中考古学として有名だが日本では全く認知されていないらしい。私は全く知らなかった。
昼手前に開陽丸を後にし進む。ラッキーピエロがある。函館にしかないと思っていた。
ここから先は進むだけだったが、「〜澗」という地名や橋がとても多いことが気になった。道南周辺はニシン漁で栄えたが、大漁の時は捌ききれず海に網を放置し、流されてしまうことがあったそうだ。それを防ぐために袋澗(ふくろま)という石堤を設けた。それがいろんな地域にあるので「地域の名+澗」となったのではないか。調べたのが寝床を確保してからなので、もっとよく見ておけばよかった。これから先は注視しよう。
当てにしていた野営場はコロナで閉鎖、道の駅には看板が。近くの海水浴場の目立たないところで野営となった。
明日に無事でありますよう、気をつけます。