4時に起き、テントを片付け終わったのは5時半ごろ。一部見える青空に晴れてほしいと願う。菜の花スポットは、道の駅よこはまを中心に南北2箇所ある。まずは南の牛の沢交差点へ向かう。
だんだんと晴れてきた。菜の花が畑一面に咲いていた。
通勤車が数台通る。見慣れた景色なのだろうか、でも視線は若干菜の花に傾いていた気がする。とても綺麗だ。灰色の雲が残っている青空と、眩しい黄色の菜の花が見れるのは運が良かった。
次に目指すのは、北の自然園(じねんえん)。例年なら菜の花フェスティバルが開催され、菜の花を一望できる展望台も設置されるのだが、今年も中止になってしまったようだ。開花宣言は4月30日で、今が一番の見頃かもしれない。そう思う程に菜の花が綺麗に輝いて見えた。
CLANNAD After Storyのエンディング「TORCH」に菜の花と建物のカットがあって、自然園がそのモデルだ。TORCHすごい好き。
牛沢交差点に着いた時からCLANNADのサントラを流していた。この菜の花を見ながら聴いた「夏時間」「願いが叶う場所」「空に光る」「影二つ」「白詰草」「はるかな年月」「カントリートレイン」「渚」「小さな手のひら」はもうやばかった。サントラは3枚組なのだが、2周はしていたはずだ。
太陽が雲に隠れた頃に陸奥横浜を後にする。ありがとう天気、菜の花、陸奥横浜、今日のことは絶対に忘れない。
尻屋崎へ行くにはこれがベストであると判断し、レンタカーを予約していた。下北駅のガソスタに併設されたレンタカー屋さんへ向かわなければならない。11時に予約し今は10時、1時間しかない。今までで一番必死にペダルを漕いだ。途中、看板を掛けたザックを背負い歩いている人を見かけた。とても声をかけたいが、時間がないので通り過ぎた。
なんとか下北駅につき、車を渡される。
新車のハスラー、積算走行距離二桁。まじか。1ヶ月弱車を運転していないので余計不安になる。しかし運転席に座れば何故か体は運転を覚えている。不思議なことだ。
車は偉大だ。尻屋崎への40kmを1時間ほどで行けてしまう。坂も何もその、右足を強く踏み込めばエンジンが車を動かす。日常で使っていた以上にこれはすごい物なんだと感じる。自転車で行っていたら早朝に出ていても帰るのは日が暮れてしばらく経っているだろう。
尻屋崎へ近づくと大きな工場がある。尻屋崎に聳える桑畑山は石灰資源が豊富で、戦後ここから多くの石灰を採取し、製鉄用、セメント用に姿を変え北海道、東北の発展を支えてきた。
工場を越えると尻屋崎灯台へのゲートがみえてくる。先に進むと、お馬さんが道を歩いてる。寒立馬(かんだちめ)という馬で、年中ここで放牧されている。ガタイがよく、特に足が特徴的だ。
尻屋崎の冬は-20℃近くまで気温が下がり、吹雪が吹き荒れる。寒立馬は冬もここで過ごす。なんてすごい馬なのだ。人慣れして大人しい性格なので、車が横を通っても気にしていない。昔は農耕用の馬として人と共生していたが、農業の機械化が進むにつれその数は減り、1995年には9頭まで減ってしまった。以降、保護活動によって頭数は回復し現在に至る。「四季置附」「野放馬」という通称もあったようだ。不思議なことに寒立馬は「シコタンキンポウゲ」という草は食べないらしい。この花は絶滅危惧種に指定されていて尻屋崎に咲いている。なんて不思議なことだろう。
魹ヶ崎灯台で尻屋崎灯台の文字を見かけたのがここに来た理由だ。尻屋崎灯台は1876年に建造され、付近を通る船舶の道標として活躍している。1945年に戦闘機の掃射で灯台の職員が1人殉職してしまい、灯台も破壊されてしまった。復旧していない時に灯る不思議な現象も確認されたそうだ。
振り返ると桑畑山が見える。形がはっきり見えて綺麗だ。西ゲートから入り東ゲートへと抜ける。せっかく車できたので、無理やりスマホをダッシュボード上に貼り付け車載動画を撮ってみた。
寒立馬に別れを告げ、むつ市へ戻る。返却時刻ちょうどにレンタカーを返す。予定通りは気分がいい(虹村形兆)
その後大湊駅に訪れる。終着駅だ。電車が来る時間じゃないとホームに入れないが、入場券を買った旨を伝えると駅員さんが入れてくれた。
本当は近くのキャンプ場へ行こうかと思っていたが、函館までの最後の宿としてビジネスホテルを予約した。TVがキャスト対応だったのでゆっぺ旅を流しながら眠りについた。
明日も無事でありますよう、気をつけます。