【90】三内丸山遺跡

5月下旬、イコモスが「北東北・北海道の縄文遺跡群」は世界文化遺産に記載が適当、とユネスコ世界遺産委員会に勧告した、というニュースで盛り上がっていたのは覚えている。

我が国の推薦資産に係るイコモスによる評価結果及び勧告について | 文化庁

歴史でも縄文時代は魅力的な時代、初学年最初の歴史の授業はとても楽しみだった。有名な遺跡、三内丸山遺跡遺跡は青森港から南へ約6km。こんなに近くまできたなら行くしかない。

天気は抜群の快晴、東海では梅雨前線の停滞で大雨が降っている。付近に住んでいる友人が心配だ。宿を9時ごろ出発する。遺跡の近くには野球場、陸上競技場、総合運動公園や美術館がある。美術館を過ぎると遺跡が見えてくる。看板には板状土偶が突き刺さっている。f:id:RSSHAKE:20210704222615j:image

綺麗な建物がお出迎え、横断幕には祝推薦決定の文字がある。登録したらまた変わるんだろう。勧告概要には、土地の公有化の促進と不適切な構造物の撤去又は影響の軽減、と記載されてある。土地の公有化はともかく、不適切な建造物とは一体何なのだろう。縄文時遊館に入り、電子マネー決済が可能な券売機で入場券を買う。f:id:RSSHAKE:20210704222646j:image
f:id:RSSHAKE:20210704222643j:image

受付姉さんから館内の説明を受ける。遺跡以外にも、シアター、常設展示、出土品保管棟、体験工房と色々あるようで、今日は移動する日じゃないと早々に決めた。ボランティアガイドによる遺跡案内が1時間おきくらいにあるようで、一人で見るよりも色々聞けてよさそうだ。集合時間までエントランス周辺を見て回る。縄文遺跡群のロゴマーク、北東北と北海道が混じり合い、グラデーションが濃くなっているところが構成遺跡群を表しているそうだ。f:id:RSSHAKE:20210704222810j:image

黄色いポロシャツガイドさんが集合の合図をかける。平日の11時台、集合した人の年齢層の高さよ。ガイドさんは時折津軽弁を抑えきれていない。ガイドツアーが始まった。

遺跡への通路には、当時の集落の想像模型が展示されている。道路を軸に区画分けされた、大きな機能集落。今から大体5000年前にはこういう集落は既にあった事を、発掘調査と出土品調査から明らかにしていくのは話を聞くだけでも興奮する。「地下には真実、地上は浪漫。」ガイドさんが度々口にするこの言葉は結構頭に残る。f:id:RSSHAKE:20210704222855j:image
f:id:RSSHAKE:20210704222848j:image
f:id:RSSHAKE:20210704222851j:image

遺跡の調査自体は1992年に、あの総合運動公園の拡張工事の為の調査から始まった。元々拡張用地として買収した土地の調査で出土品が多数見つかり、大規模な集落が長期間定住していた可能性が出た。当時の知事は、既に工事が着工し始めていた状況下にあっても保存を表明した。当時の東奥日報の記事が常設展示の最後にあるので、是非ご覧あれ。

遺跡を巡った全てを書いてしまうと恐らく文字数が1万は超えてしまうので、写真と特に気になった物について書く。

f:id:RSSHAKE:20210704223133j:image遺跡入り口すぐの道路。この道路の両側からは、円形に並べられた石が発掘された。大人の墓が並べられていたと考えられるそうだ。

f:id:RSSHAKE:20210704223053j:image
f:id:RSSHAKE:20210704223111j:image
f:id:RSSHAKE:20210704223119j:image復元竪穴式住居。発掘調査結果より、茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類が復元されている。いくつかの住居は平成24年に行われた「縄文の家づくり」という体験イベントで作られた物で、中には個人名の入った木版が並べられている。自分が青森に生まれていたのなら...
f:id:RSSHAKE:20210704223100j:image

子供の墓として使われていた土器。一区画に集中して出土したことから、大人とは別に埋葬していたと考えられているそうだ。煮炊用の土器が使われ、底や側面に穴が開けられていたり、丸石が一緒に入れられていたそうだ。当時の大人の寿命は30歳前後、背丈は低かったと考えられており、子供も比例して小さかったのだろう。この土器にどのようにして入れたのだろうか。
f:id:RSSHAKE:20210704223115j:image
f:id:RSSHAKE:20210704223104j:image
f:id:RSSHAKE:20210704223124j:image三内丸山遺跡のシンボル、大型掘立柱建物と大型竪穴住居。直径1メートルもの栗の木の柱が刺さっていた穴は定まった間隔で6箇所開けれていた。当時、長さを測る術があったのではないかとガイドさんが興奮気味に説明していた。栗の木も発掘されており、腐りきらず残っていたのは、地下水があったのと、木の底と周辺の土が焦げていた為だそうだ。焦がすと腐りにくくなる事を既に知っていたのだろうか。f:id:RSSHAKE:20210704231618j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231632j:image

なんと7月から、発掘調査現場の公開が始まっていた。遺跡の北端部の調査を行なっており、そこには溝型遺構が確認されたそうだ。現在はその範囲を調査中で、職員の方が慎重に土を削っていた。遺跡のHPで最新の情報が更新されているので、是非ご覧あれ。https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/survey/forefront/

f:id:RSSHAKE:20210704231642j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231612j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231635j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231621j:image常設展示の出土品展示、縄文ポシェット、板状土偶、土器と子供墓の土器。板状土偶はほぼ、下部に穴がある。やはりこの時代の女性崇拝は不思議だ。
f:id:RSSHAKE:20210704231629j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231639j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231626j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231609j:image

常設展示内には縄文時代に生きたある家族の模型が設置されている。模型についたQRコードを読み取ると、その模型の場面の会話が聞ける。展示導入の位置付けのようだ。これが結構いい感じだ。
f:id:RSSHAKE:20210704231606j:image
f:id:RSSHAKE:20210704231615j:image出土品保管棟と調査室。盛土で発掘された沢山の割れた土器は、模様を手がかりに組み合わせ、修復作業を行なって土器に戻す。とてつもなく大変な作業だ。調査室では職員さんがノートパソコンに向かって何か悩んでいる様子だった。机に分類された資料が仕事中の雰囲気を醸していた。

f:id:RSSHAKE:20210705004148j:image
f:id:RSSHAKE:20210705004145j:image

「縄文海進」大体7000年前にあった海面上昇で、当時の三内丸山遺跡周辺は海が近かったと考えられている。遺跡からは魚や動物の骨が出土した、魚に関しては50種以上の骨が見つかり、一番多かったのはブリらしい。海も近く自然の恩恵を強く受け、約1700年続いたと考えられる集落の終わりは一体どんなだったのだろう。
f:id:RSSHAKE:20210705004843j:image中央の土器破片の下に白い文字が書いてある。最初見た時は梵字に見えて混乱した。よく見るとローマ数字が書いてある。近くの職員さんに聞くと、出土場所を示しているそうだ。これをプリントする専用の機械があるとも教えてくれ、めちゃくちゃ気になった。

なんだかんだ、5時間近く三内丸山遺跡にいた。あっという間に時間が過ぎた感覚だ。最後に一つ、超重要な発見を。施設のシアターで流れる遺跡の映像のナレーションは、進撃の巨人のクリスタの声を担当している三上枝織さんだった。

明日も無事でありますよう、気をつけます。