【73】根室・納沙布岬

起きたのは宿を外出する予定の2時半。多分2時間しか寝ていない。荷物を全て部屋まで運んでいるので、今なら身軽に走れる。上着を着て納沙布岬へ出発する。根室は朝日が一番近い町と謳っているが、それにしたって2時台後半には明るいのは驚きだ。

気温は多分7℃くらい、微風が吹き坂の連続。暑いけど寒い、道東に来てからこればかり言っている気がする。道中、チャシというアイヌの人々が作った柵囲いが点在している。入り口にロープが張ってあるが、時間が早すぎたのか、閉鎖しているのか。f:id:RSSHAKE:20210617214516j:image

数十か所の川をまたぐ坂を走り、1時間ちょっとかかり納沙布岬に到着した。誰もいない、時刻は4時半、偶に軽トラックが近くを走っていく。岬周辺には碑などがたくさん建っている。f:id:RSSHAKE:20210617214555j:image
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その中に寛政の蜂起墓碑がある。アイヌの人々は、場所によっては和人との交易で不利益を被った。寛政元年(1789)、今の標津・羅臼に住んでいたアイヌは和人を約70人殺す事件、クナシリ・メナシの戦いを起こす。この戦いの後、和人はこれにかかわったアイヌ人を約30人、今の根室の牧ノ内で処刑した。ここら辺のチャシは和人との闘いに備えて作られたものもあるようだ。使われることはなかったそうだが。f:id:RSSHAKE:20210617214717j:image

この墓碑は和人の墓碑で、案内板の最後には、「ー和人が殺害された原因はアイヌ民族への非道行為が原因であり、石碑の内容と史実は異なる。」とある。これを見た後に、岬から数キロ先の歯舞群島を眺めると、なんだか複雑な心持になった。f:id:RSSHAKE:20210617214758j:image
f:id:RSSHAKE:20210617214755j:image曇っていて遠くの島々は見えない。どこかで、水晶島出身の母との記念写真を見たのだが、その水晶島が目の前にある。今はロシアの支配下にあり、自由に往来できない。そこに住んでいた人やその子孫は、故郷に行くことができない。

曇り空の間から太陽が現れた。最東端の碑で写真を撮る。f:id:RSSHAKE:20210617214551j:image寝坊してよかったかもしれない。5時過ぎ、納沙布を後にする。行きで急いだ分、ゆっくり帰る。追い風下り坂多めで助かる。f:id:RSSHAKE:20210617214853j:image
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宿に戻り、仮眠をばと思ったが、飯を食ったら眠気が飛んだ。これは正午に再度襲ってくるパターンだ。今日は行けても道の駅までだろう。

根室市街を走る国道の末には明治公園がある。使われていないサイロという肥料貯蔵施設が3つ公園内に立っている。f:id:RSSHAKE:20210617215146j:image重機の登場で、牧草地でみるあの白い俵がとってかわった様だ。牧草が発酵すると、牛たちが大好きな匂いを放つらしい。ほかにもバーベキューサイトがあったり、遊具があったり、市民の憩いの場として最適な公園だった。

昨日どりあんエスカロップを食べたが、もう一店舗、ニューモンブランが駅前にある。昨日は休みだったが今日は開いてる。どりあんは店内にベスパが置いてあったりしてにぎやかな雰囲気だったが、モンブランはとても静かで落ち着いた雰囲気だった。地元の人は「エスカ」と言って注文するようだ。

観光案内所で最東端到達証明書を頂き、根室市街を後にする。ここから先は来た道を戻るのみ、そう思うと眠気が襲ってきた。休み休み走り、道の駅に15時頃到着した。今日これ以上進んだら途中で事故になりかねない。サイコンを見ると75kmの表示が、そういえば朝2時から走っていたんだっけか。f:id:RSSHAKE:20210617215357j:image

人気がなくなる時間まで写真整理を行い、目立たないところで設営。眠気を我慢しながら荷物整理をして翌朝すぐに捌けられるよう準備する。終わったところで寝袋に入り、即落ちた。

明日も無事でありますよう、気を付けます。f:id:RSSHAKE:20210617215504j:image
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