【71】中標津-野付半島-尾岱沼

ビジネスホテルマルワは入り口付近に格安の幟が大量に置いてある不思議な宿だ。いの一番で朝飯をいただき7時に宿を出る。f:id:RSSHAKE:20210615172752j:image今日も日差しが強い。中標津の街は、格子状に広がる畑の右下あたり、店が多く人も多い。網走以降走ってきた中で1番の街だ。商業施設もあるが買うものはない。

中標津から標津までは緩やかな下り。途中、駐車帯に標津みどころ30選の看板、知床連山の展望。快晴で山がはっきり見える。f:id:RSSHAKE:20210615172715j:image6月も中旬、通った時よりも残雪が目立って見える。そこをすぎると、馬の親子がこちらを見ていた。風で揺れる鬣がカッコいい。追い風もあり39分ほどで標津に着いた。f:id:RSSHAKE:20210615173222j:imagef:id:RSSHAKE:20210615173820j:image

ここから野付半島の真ん中にあるネイチャーセンター目指して片道17km走る。薇のような形をしたこの半島は日本一でかい砂嘴。竪穴住居の遺跡があったり、千島列島との交易の要所であったり、動植物が豊富、多方面で重要な場所なのだろう。

片道17km、一度も曲がらない道を、途中のスポットを飛ばして走る。f:id:RSSHAKE:20210615175508j:image半島の苦手な点は、同じ道を往復するのが一番楽な点だ。それが嫌だと言って別の道を行くと往路より険しかったりする。

1時間ほどでセンターにつき、そこから遊歩道を歩いた先にトドワラという枯れたトドマツ跡がある。f:id:RSSHAKE:20210615175655j:image
f:id:RSSHAKE:20210615175651j:imagef:id:RSSHAKE:20210616135757j:image

過去の写真は見たことはないが、年々立ち枯れしたトドマツは減っているらしい。この島自体、消滅する可能性はあるようだ。

今回野付半島に来た理由は、国後島の南部分を一番近くで見れそうだったから。ネイチャーセンターの向かいには非常時用の高台があり、避難場所の部屋以外は階段を登ってゆける。そこから撮れた写真がこちら。f:id:RSSHAKE:20210615181003j:image多分、左側の砂嘴辺りだと思う。先日北方領土について調べ行き着いたあるブログで、ロシアの「クリル諸島社会経済発展計画」で、ドゥボボエという地域に助産施設が建つ、といった内容の記事を見た。ドゥボボエは国後島の一番南の地域で、ここらは宅地や高速道路が構築されているようだ。この写真がその地域を写しているかどうかはわからない。今までみてきた看板には「北方領土返還」「島を還せ」とあるばかりで、一度ロシアが2島返還を提案した事、日本は4島返還を条件にそれを拒否した事、そこからロシアの北方領土開発が進んだ事は知らなかった。関連施設がやっていれば知れたんだろうか。

昼を過ぎ、ネイチャーセンターを後にする。きた道を引き返すが、少し遠くには灰色の雲、そこから下がる雨が見える。f:id:RSSHAKE:20210615182213j:image風が一気に冷たくなり、雨具を着た方がいいかもと思った矢先に降られる。軽トラが横に止まり、おっちゃんが自転車乗せて入り口連れてくよと声をかけてくれた。しかし荷台にチャリを乗せるには二人必要だ。そうなるとおっちゃんが濡れる。申し訳ないので、気持ちだけ受け取り遠慮した。お願いした方が良かったのではないかと少し悩むが、おっちゃんが濡れないことが優先だ。

雨のせいで靴は濡れ体が冷える。とりあえずの目的、尾岱沼まで走る。通り雨だったので道路からは蒸気が上がっている。f:id:RSSHAKE:20210616105404j:imageとある公園で今後の予定を考えていると、地元の子供達が集まってきた。元気な声を出して遊び始めた数十分後、また雨が降ってきた。それでも子供たちはしばらくは遊んでいた。近くに銭湯があり、時間もあるので行ってみる。どこかの温泉で「無の湯」という、体温とほぼ同じ温度の風呂があり、入ると何も感じない不思議な風呂なのだが、それがここ銭湯にあって驚いた。名前こそないがこれは無の湯だ。

籠にあった家の鍵の忘れ物を番台さんに渡し銭湯を出る。先の公園に戻ると子供たちは帰り、若い兄ちゃん達が野球をしている。また雨が降り始めた。その中でも兄ちゃん達は野球を続けている、えらくタフだ...
今日はここから動けそうもないので、目立たないところで設営を済ませる。

明日も無事でありますよう、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210616110133j:image