【117】輪島-志賀

月夜の漁火、船のエンジン音、消波ブロックに当たるでかい波の音。目が覚めたのは3時過ぎ。こんな時間にも散歩をしている人がいて驚く。

和倉で訪れたお祭り会館で、キリコ会館の割引券を頂いていた。9時から開館で時間はまだまだある。輪島港の周辺マリンタウンにはサッカー場、バスケットゴール、スケボーができそうな滑らかなコンクリ広場と色々揃っている。高層の宿施設もあり、5時過ぎになると部活動でやって来たであろう学生たちが朝日を眺めに港へやってきた。せっせとテントを片して移動する。

輪島の朝市へ行ってみる。歴史ある朝市の様で、平安時代から行われていたと記す文献もあるそうだ。朝市通りを東に進むと重蔵神社に繋がる。人の往来が活発だったのだろう。神社の祭礼日に開かれた朝市は、4と9のつく日にも開かれる様になり、今ではほぼ毎日開かれる。なぜ4と9なのか、間隔的にちょうどよかったのかどうか理由はわからずじまい。商品は食材、食品、工芸品、さまざまなお店が並んでいる。朝市のHPにはマップと出店者の情報が掲載されてある。

f:id:RSSHAKE:20210731190037j:image

食材も食品も今の自分の装備では保存が効かないので買えなかったが、工芸品の店舗から声をかけられる。一度は大丈夫ですと通り過ぎたが、箸が折れていたことを思い出す。引き返し箸を買う。紫色の美しい箸、今のケースには入らないがまぁいいだろう。f:id:RSSHAKE:20210731190052j:image
f:id:RSSHAKE:20210731190041j:image

9時を過ぎ、キリコ会館へ向かう。英字のART MUSEUMの通り、館内には輪島地域のキリコ祭りで使用されたキリコが展示されている。
f:id:RSSHAKE:20210731190014j:image
f:id:RSSHAKE:20210731190103j:image

f:id:RSSHAKE:20210731190030j:image今のキリコの元の形とされる笹キリコ

f:id:RSSHAKE:20210731190034j:image吉祥文字。3文字は演技もよくバランスも良い最適な文字数だそうだ。この写真にはないが、雲に関わる文字がよく使われる。
f:id:RSSHAKE:20210731190021j:image
f:id:RSSHAKE:20210731190048j:image

吉祥文字が書かれる面の裏には紋が描かれたキリコもある。紋がない場合は絵が描かれる。

会館は3階建で、1階はキリコの展示と売店、2階は映像シアター、3階は展望フロア。キリコの構造や各部位についての展示はなかった。退館前に職員さんと話をした。能登半島では年間を通して自然の恵みに感謝する行事が地域ごとで行われているが、住民にとっては負担であると言う感覚が一番強いそうだ。このキリコも夏の祭りで使われるもので、訪れる人は美しいと思うかもしれないが、作るのも手入れするのも大変な労力がかかる。能登半島の祭りは無形文化遺産に登録されている。仕事を抱えながらこの文化を引き継いでいくために努力している住民もいる。会館で一番頭に残った。

会館を後にし、猫地獄と言う場所は海岸にあるので行ってみる。なんと岩場の中にプールがある。しかもレーン番号までついている。ちょうど地元の人がいて、案内してくれた。柱が立っている場所が猫地獄で、昔ここから落ちた猫がなかなか這い上がれない事からその名前がついたそうだ。ひどい話だ。f:id:RSSHAKE:20210731190010j:image
f:id:RSSHAKE:20210731190025j:image

この岩は珪藻土で、触るとサラサラで手に粉がつく。案内してくれた人は輪島塗り漆器の営業をしていた方だそうで、この珪藻土が輪島塗りを支えている事を教えてくれた。プールで泳いでいた子供たちが猫地獄の岩までやってきた。そして岩から海へ飛び込んだ。どうやら昔から子供がするある勇気試しだそうだ。飛び方を間違えたら大怪我必至だろう。
f:id:RSSHAKE:20210731190059j:image

案内してくれた方と別れ、ここからは能登半島を抜けるためにひたすら走る。途中、よく見かけるトトロ岩があった。海を左手に進んでいれば気付きやすいが、その逆だと気付きにくい。看板がなければ気付かなかった。
f:id:RSSHAKE:20210731190056j:image

志賀(シカ)と言う場所にある世界一長いベンチ。今日進める限界だった。近くで風呂を済ませ夜を迎える。日付が変わる頃目が覚め、レーダーを見ると雨雲が間近に迫っていた。バイクカバーを活用してなんとか凌いだが、なかなかキツかった。
f:id:RSSHAKE:20210731190045j:image
f:id:RSSHAKE:20210731190107j:image

明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210802070902j:image

【116】珠洲-輪島

能登半島の海は禄剛崎灯台を境に北を外浦、南を内浦と呼ぶ。内浦側は気候が穏やかで生活しやすく、外浦側は景勝地が多いが風が強く生活しにくい。冬はそれなりに雪が降るそうで、外浦は風が強く積雪がなく、内浦は膝下まで積もるらしい。珠洲から伸びる国道は国道には峠越えしか待っていないのならば灯台へ行くしかない。f:id:RSSHAKE:20210730055043j:image

須須神社日本海一帯の守護神として知られる神社、宝物殿には蝉折という龍笛が納められている。日宋貿易で得た漢竹で作られた龍笛は、まるで生きた蝉の様な美しい節があるらしい。膝下においた衝撃で節が折れてしまいその名になったそうだ。f:id:RSSHAKE:20210730055047j:image
f:id:RSSHAKE:20210730055032j:image

石の大鳥居の寄贈者は札幌の方、北前船が関わっているのだろうか。鳥居のそばには見上げる高さの大きな格納庫がある。須須神社で行われる寺家キリコ祭で使われる大キリコが入っている。格納庫ができたおかげで、以前は組み立てからしなければならなかった準備が楽になったそうだ。
f:id:RSSHAKE:20210730055119j:imagef:id:RSSHAKE:20210730063637j:image

禄剛崎灯台までの小さな坂を超えた駐車帯からは黒い海と青い空、でかい積乱雲、夏の景色が広がっていた。ツーリングのバイカーさんが、カメラスタンドのバランスをとっている。声をかけてシャッターを切らせていただいた。最近石川県に移ってこられたそうだ。この日差しでのバイクウェアとヘルメットは相当暑いらしい。別れ際、坂を登っていくバイクの音と姿がとても印象に残る。f:id:RSSHAKE:20210730055027j:image

灯台への入口は道の駅狼煙向かいの遊歩道。400m程坂を登ると灯台へ辿り着く。ここを回るに決めたこの地名「狼煙」。灯台ができる前、海難事故が多発した海沿いを行く船舶のために、近くの山伏山で狼煙が多く焚かれていたそうだ。
f:id:RSSHAKE:20210730055111j:image

先程あったバイカーさんが、今日灯台へ行って良かったと仰っていた。とても綺麗だ。この灯台には菊の御門プレートが付けられている。日本で唯一だそうだ。書かれている内容、掛けられた経緯は後ほど調べるとしよう。灯台の先の小さな石階段の展望台からは、一本だけ長く伸びた草と積乱雲が綺麗に見える。
f:id:RSSHAKE:20210730055107j:imagef:id:RSSHAKE:20210730121232j:image
f:id:RSSHAKE:20210730055016j:image

灯台周辺には色々なモニュメントが建っている。休憩用の小屋もあり、整備が行き届いている。能登半島に入ってから1日50km以上進んでいない。それほど見る箇所があった。しかしこれからはそうもいっていられない。名残惜しいが食事を済ませ狼煙を後にする。

目的地は輪島。中間に綺麗な棚田で有名な米山千枚田がある。棚田があるということは前後に坂があるとは思っていたが、やはりそうだった。手前の集落で海岸まで降ろされ千枚田まで登る。しんどかった。棚田の遊歩道も結局歩いてしまいさらに疲れる。海岸近くの棚田にはイオンリテール関連の札が多く刺さっていた。企業だけでなく地元の子供や県外の高校もこの棚田に関わっているそうだ。
f:id:RSSHAKE:20210730055122j:image
f:id:RSSHAKE:20210730055024j:image

日が落ち始めた頃に輪島に着いた。能登半島の町ではかなりでかい。公衆浴場で風呂を済ませ、海岸沿いの大きな公園の隅に良さげな場所を見つけた。ちなみに今日はすぐに眠れない。御陣乗太鼓というものが、公園近くのキリコ会館のステージで演奏されるからだ。20時30分まで写真整理やらを済ませる。
f:id:RSSHAKE:20210730055125j:image
f:id:RSSHAKE:20210730055052j:image

千枚田の道の駅でポスターを見かけて初めて知った御陣乗太鼓。爺面や達磨の面を被り演奏する太鼓で、由来は名舟という町だそうだ。調べると、千枚田の手前、降ろされた町が名舟だった。小さな漁村だった名舟の民が近づいてきた上杉の軍を退けるために行ったのが御陣乗太鼓。村民は面をつけ、上杉軍へ陣太鼓の夜襲を掛けた。怪物が夜に突然太鼓を打ち鳴らし接近してきた為上杉軍は退いたという。
f:id:RSSHAKE:20210730055055j:image
f:id:RSSHAKE:20210730055020j:image
f:id:RSSHAKE:20210730055036j:image
f:id:RSSHAKE:20210730055011j:image

演奏は速いリズムで始まり、怪物が見栄を切りながら速さはどんどん増していく。観覧していた子供が何人か泣き始めた。速くなるリズムと近づいてくる面の怪物に不安を感じるのだろう。今でこそ照明があるが、炎の光だけでこの光景を何も知らず見たら怖いだろう。演奏は速さが極まったところで終わる。

ステージ横の売店で甘物を買った。夏の間ほぼ毎日演奏しているそうだ。面の怪物を演じていた人たちは中年かそれ以上に見受けられた。リズムは段々と速くなり、それに合わせて見栄を切りながら演奏するのは非常に難しい。練習は結構キツイそうだ。

テントに戻り、明日に備えてすぐ眠る。偶然ではあったが、見て知れて本当によかった。明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210730075810j:image

 

【115】能登-珠洲

大工さんと同じ4時半に起きる。天気予報だと朝から雨だが、まだ降っていない。女将さんが朝飯にとおにぎりを作ってくれた。昨日の夕食の余り、朝飯用に買ったパン、夜まで食料は買わずに済みそうだ。付近で熊の出没情報が出ているそうだ。金沢の東の山から熊が上がってきているらしい。

f:id:RSSHAKE:20210729055848j:image

九十九湾の中間にはイカの駅つくモールがある。巨大なイカキングのモニュメントは他のブログでよく見る。しかしなぜこの湾が九十九なのか。老婆の白髪はツクモに似て白く細い、老齢百に一満たず白、よって九十九は白髪を連想させる言葉となった。伊勢物語の和歌が由来らしいが、この九十九湾はそれとは関係はなく、複雑な入江が99もあるからだそうだ。つくモール内にはイカ漁の展示があり、取ったイカの冷凍技術、ブロック冷凍から一尾冷凍へ変化はとても合理的だった。
f:id:RSSHAKE:20210729055859j:image
f:id:RSSHAKE:20210729055844j:image

九十九湾を過ぎると恋路海岸。ここで逢瀬を重ねていた男女がおり、もう1人の男がその仲を妬んでいた。妬んでいた男が、逢瀬場所の標だった女の灯す火を崖に移し、男は落ちて帰らぬ人に。女はその後を追った。いい話ではないがそれが恋路の由来だそうだ。のと鉄道廃線を利用してトロッコを走らせているらしい。
f:id:RSSHAKE:20210729055904j:image

見附島に着いた数十分後に大雨が降る。東屋に避難していたので濡れなかったが、今日はもうあまり進めない。雨は1時間ほどで止み珠洲の中心街まで進む。衣類バックの中身が湿っている。おそらく洗面具の水気が残っていたのだろう。洗濯しなければ。
f:id:RSSHAKE:20210729055852j:image

風呂洗濯夕飯を済ませ、道の駅すずなりにたどり着いた。本当はここから東に目星を立てていた場所があるのだが、物置と化している駐輪場のスペースがあった。
f:id:RSSHAKE:20210729055856j:image

明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210729202352j:image

【113・114】和倉温泉-穴水-能登町

日中は気温が高く夜は星空が広がるせいで、明け方の結露には悩まされる。中島と能登島の向田、どちらか選ばなければならない。中島には熊甲祭りの資料館があるのだが、能登島には行きたいのでお熊甲はまたの機会に、、今日も資料館へ行ってはまた留まってしまう。

昨日は温泉宿群を見ることなく通り過ぎたが、洗濯の合間に通りを歩いてみると高層宿が並んでる。この連休で満室の様だ、賑わってらっしゃる。湧浦転じて和倉、高級温泉街で有名らしいが、泊まることはきっと無いだろう。f:id:RSSHAKE:20210727080118j:image

能登島大橋を渡る。f:id:RSSHAKE:20210727075947j:image

レジャーで賑わう能登島と聞いてはいたが、まだその雰囲気は感じられない。大橋から入ってすぐに須曽蝦夷穴古墳がある。1km程坂を登ると大きな墳丘があり、復元された2つの石室の中に入れる。墳墓の周りを歩いているとトンビがすぐ横を飛んでいった。f:id:RSSHAKE:20210727080043j:image
f:id:RSSHAKE:20210728064014j:image

向田は能登島の中央にある。本来ならばそろそろ火祭りが近くなって準備が慌ただしくなる頃らしいが、今年は何もない。伊夜比咩神社から真っ直ぐ進むと火祭りセンターという施設がある。この広場に能登一大きい松明が燃える、その芯材のオオギはどこで漬けられてるんだろうか。f:id:RSSHAKE:20210728064417j:image
f:id:RSSHAKE:20210727080025j:image

のとじま水族館は向田からすぐ北にある。連休中で入場規制がかけられており、駐車場は車でいっぱいだ。入る予定はなかったので看板だけ。
f:id:RSSHAKE:20210727080114j:image

水族館を過ぎると、深く入り組んだ岸を通る。箱名入江と呼ぶそうだ。海のすぐ近くに田んぼがあるこの光景がやけに頭に残る。
f:id:RSSHAKE:20210727080056j:image
能登島を出るときのツインブリッジを撮り忘れ、そのまま穴水町へ入った。途中、あき竹城に似ているおばちゃんから飴を頂いた。久しぶりのハッカ飴、やっぱり美味い。おばちゃんは去り際に私は輪島の人だよと大声で言い残して先へ行った。今までずっと穴水をアナスイと呼んでいたがアナミズだった。漫画の読みすぎだ。
f:id:RSSHAKE:20210727080004j:image

穴水町の広場まで辿り着いたが、これ以上進める気が起きない。近くの銭湯で風呂を済ませ、ここで夜を越す。
f:id:RSSHAKE:20210727080021j:image
f:id:RSSHAKE:20210727080101j:image

バッテリーがもうすぐ空だ。しかしいつも使うネットカフェは能登半島には無い。あるのは高級宿か民宿、もうすぐ能登でインターハイが行われるらしく、問い合わせる民宿から返ってくる答えは満室。そんな中、町を外れたところにある民宿さんから空室の答えが。今日も長くは走らない。

穴水を出て、国道ではなく海岸沿いの能都穴水線を走る。登じゃなく都なのが気になったがどうやら旧地名らしい。緑一杯の田んぼの向こうには海と能登島。岩手の綾里を思い出させる様な光景に足が止まる。
f:id:RSSHAKE:20210727080047j:image

海岸沿いの半分ほどに、もう使われていない駅があった。のと鉄道の甲(カブト)駅。こんなとこに鉄道が走っていたのか。穴水から蛸島という珠洲の先の方まで走っていたそうだ。
f:id:RSSHAKE:20210727075936j:image
f:id:RSSHAKE:20210727080109j:image

海岸沿いを抜けて能登町に入った。どうやらテニスの町らしい。町に入ってすぐ、日本最大級の室内テニスコートがある。ここでインターハイソフトテニスが開かれるそうだ。能登町の博物館や民族資料館を見ようと思ったが全て休館日、仕方がないので民宿近くの公園で写真を整理して時間を待つ。
f:id:RSSHAKE:20210727075940j:image
f:id:RSSHAKE:20210727080105j:image
久しぶりの民宿、北海道以来。地元の名酒竹葉が書かれた看板が目を引く。主人の奥さんが出迎えてくれ、素泊まりだったので飯の心配をしてくれた。和室の部屋は憧れる。ひぐらしの鳴き声が響く和室以上に落ち着く場所は多分無い。気づいたら1時間近く寝ており、女将さんのノックで飛び起きる。町の方の食事屋さんやらを教えていただいた、寝ぼけでもしっかり頭には残るものだ。
f:id:RSSHAKE:20210727075955j:image

結局飯はスーパーの食料品。これでいいのだ。ここは能登町の宇出津(ウシズ)という場所で、あばれ祭りが7月の第一土曜日に行われる。町にはその資料館的なものはなく、なので民族資料館を...の予定だったのだが。まぁ仕方がない。条件に恵まれれば、宇出津港から北アルプスが見られるそうだ。しかしそれは悪天候の兆し。
f:id:RSSHAKE:20210727080012j:image
f:id:RSSHAKE:20210727080051j:image
f:id:RSSHAKE:20210727080008j:image

雲のかかった夕日は久しぶりだ。町を散策しながら写真を撮り、宿へ戻る。民宿には私以外に大工さんが泊まってた。翌日の算段をし、布団を敷いて秒で眠った。そういえば、2週間近く毎日移動している気がする。

明日も無事でありますよう、気をつけます。

f:id:RSSHAKE:20210728073312j:image
f:id:RSSHAKE:20210728073308j:image