【64】枝幸-雄武

道南の江差と道北の枝幸、同じ読みの二つの町。枝幸ではそれを意識したポスターがあったが写真を撮り忘れた。

雄武町のキャンプ場まで走ったが、途中から雨に降られ写真が撮れなかった。

キャンプ場のおじいさんから昔の北海道の話を伺った。戦後一桁の時代に生まれ、当時は道も全部砂利道で、馬が生活に深く関わっていた。町の行き来も相当大変だったが、昭和30年から10年ほどで、車が走り始める等生活が一変したらしい。

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雨に降られた寒さからか、設営して寝袋に入ったらすぐに眠ってしまった。

明日も無事であります様、気をつけます。

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【62・63】猿払-枝幸

猿払に着いた翌日は悪天候で動けなかった。テントが吹っ飛びそうな強風が夕方から明け方まで吹き続け、不安な夜明けだった。ようやく晴れ、撤収を済ませる。f:id:RSSHAKE:20210607055022j:image

道の駅で準備をしていると、稚内で一緒だったライダーさんとまた会った。知り合ったライダー同士が色んな場所で会うので、北海道のライダー世間は狭い。

エサヌカ線はオロロンラインと並び北海道でも有名な道だそうだ。近くに来るまで知らなかった。長い直線が牧草地を走る農道だ。

国道を左折してエサヌカ線に入る。ちょうどこの頃から雲がなくなり晴天となった。途中で先程のライダーさんと合流し、写真を撮影する。直線道路に走る大型バイク、マップルの表紙の様な写真は撮れなかったが、それでもいい写真が撮れた。f:id:RSSHAKE:20210607055156j:image

オロロンラインは静かで落ち着いた雰囲気だったがこちらは明るい印象だった。東と西の違いなのだろうか。エサヌカという名前は通称で、この名前の由来は調べてもわからなかった。f:id:RSSHAKE:20210607055234j:image
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直線を抜けて浜頓別に入る。朝から何も食べていなかったので腹がずっとなっていた。道の駅で食事を済ませる。パンがうまい。

浜頓別にはクッチャロ湖という大きな湖があり、近くにはキャンプ場もあった。時間は昼ごろでここで止まるのは早い気がしたので、先に進む。f:id:RSSHAKE:20210607055310j:image
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枝幸への道は、ツーリングマップルでは単調な景色としか記載がなかったが、北見神威岬周辺の山の迫力は今まで感じたことがないものだった。f:id:RSSHAKE:20210607055341j:image神威岬で休んでいると、軽トラのおじさんに声をかけられた。今日はとびきり風が強いらしい。たしかに、白波の先端が吹き飛び霧になっている。ここから枝幸へ向かう間、この風に苦戦した。f:id:RSSHAKE:20210607055400j:imagef:id:RSSHAKE:20210607055424j:image
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バッテリー類が空に近いため、宿を取っていた。到着すると、エサヌカを一緒に走ったライダーさんとまたあった。1日に5回も会うとは。もう一人ライダーさんと話していたが、その方は2日で大阪から北海道まできたと言う。

部屋に入り用事を済ませ食料の買い出しへ枝幸市街地へ歩く。近くの食事処へ思わず入ってしまう。ザンギ定食とクラシック。大変おいしいかったが、黒ラベルの方が好きだ。

食料を揃え、宿に戻り風呂に入る。洗濯を済ませ、荷物の整理をする。宿を取ると意外に時間は早く過ぎる。

明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210607055628j:image

【61】稚内-宗谷岬-猿払

雑魚寝でも風と寒さを感じないのは家の素晴らしさだ。天塩からよく会う方の自転車を見させていただく時間が来るまで写真の整理をしたりする。

アラヤのツーリスト、落ち着いたフレームの色にクラシカルなバックが合わさった見た目は綺麗だった。チェーンの清掃と注油、キャリアの増し締め、ディレイラーの調整等を伝えた。素人目だけどこの時はすごく楽しかった。

昼前にライダーたちが車庫からバイクを出し出発の準備を始める。愛車と一緒に写真を撮らせていただいた。初めてしっかり人の写真を撮影した。

 

地元の友人と遊ぶ時、山岡家を見つけると入ってしまうことが多々あった。稚内にも山岡家がある事に驚きながら、天塩から一緒の人と食べに行く事に。

その方は山にも登る様で、私が以前勤めていた上高地や乗鞍にも行った事があるそうだ。もしかしたらそこで会っていたのかもしれない。

山岡家で互いの無事を祈り別れる。宗谷岬までは25km程、近そうで近くない。時間に余裕がないので、急足で向かう。

宗谷岬にやっと着いた。家を出てから約3000km、2ヶ月かかった。この最北端以降、目指す方角が南へ変わる。今日は曇っていてうっすらとしか見えないが、40km先にロシアが見える。気温は12℃でとても寒い。悴む手で三脚をセットして写真を撮る。この写真を稚内市役所へ送れば、到達証明書が返送される。

お土産を買い岬を出る。猿払村まで行くが、もう夕方、休憩を取らずに進む。

宗谷丘陵を右手に見ながら坂を進む。キタキツネを3匹、鹿を1匹見た。鹿は本当に突然出てくる。今回はあっちが避けてくれたが、そうじゃなかったら危なかった。

18時半ごろ、やっと猿払の道の駅に着いた。キャンプ場が併設されているが、閉鎖している。ウェブサイトにはその情報が載っていなかったので期待してたが外れた。

近くに海岸沿いに設営を済ませる。明日は午前から雨らしい。ここから移動できるかどうか。

明日も無事であります様、気をつけます。

 

【60】天塩-稚内

日の出は遂に3時台になり、夏が近づいたことを感じるが、ここの気温は5℃くらいでとても寒い。

カメラの標準ズームレンズのフォーカスが動かなくなってしまった。扱いの荒さがいけなかったのだろうか、それとも湿気なのだろうか、残念でならない。

 

曇り空に点々と青が見える。風は追い風、これから60km近く続くオロロンラインを走るには、いい条件なのかもしれない。道の駅まで戻り身支度を整えて、分岐に入る。豊富町も見たいが、今回はごめん。f:id:RSSHAKE:20210604095717j:image

オトンルイ風力発電所が近くなってきた。風車は28基もあり、発電した電力は約17km離れた幌延の変電所に送電しているようだ。4基毎に赤い風車が置かれていると思ったら違う様だ。風車の下で見上げると、走りながら感じたのとは異なる迫力がだった。

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風車群を過ぎるとガードレールや路肩表示もなくなり、原野に敷かれた道だけの区間に入る。どんよりな雲が広がる中ここを通る。左手には利尻富士日本海、右手には野原が広がる光景が約10kmも続く。ここまで来れてよかった。f:id:RSSHAKE:20210604095942j:image
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いくつかの駐車帯を超えると抜海(ばっかい)にたどり着く。ノシャップ岬へ行くか、丘陵を越え稚内中心地へ行くか。もちろんノシャップ岬の方を行くが、中心地への分岐道はエグい坂をしていて興味だけはそそられる。f:id:RSSHAKE:20210604100010j:image

岬への道中にはカエルの置物が多数ある。無事にここから帰って欲しいとの地域の人の思いなのだろう。ノシャップ岬のイルカモニュメントにはめられた時計は時刻がずれていた。f:id:RSSHAKE:20210604100046j:image

稚内市街地までは向かい風。北防波堤ドームは以前野宿する人が多いらしかったが、今は禁止の張り紙が柱に貼られている。f:id:RSSHAKE:20210604100600j:image
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ライダーハウスがあるらしい。避けてきたが、これからは利用せざるを得ない場面が出てくるはずなので、初めて利用することにした。

ライダーハウスみどり湯」30年近く続く、最北のライダーハウスのようだ。今日は自分以外にも結構人がいた。地元の方もいて、食べ物を焼いていた。f:id:RSSHAKE:20210604100231j:image昨日会った人ともここで会い、黄金岬で自分を見かけたという人とも会った。こういう偶然を楽しめる場所がライダーハウスなのだろう。黄金岬で一緒だった方は、礼文島へ行ったそうで、そこで撮れた写真を見せていただいたが、とても美しい写真が一枚、強く印象に残った。

明日も無事であります様、気をつけます。f:id:RSSHAKE:20210604101004j:image

【59】苫前-天塩

朝風呂はだいぶ久しぶりだった。昨晩は森進一のファミリーヒストリーを見ていたら寝てしまい、起きたらプロフェッショナルが映っていた。それ以降眠れずに朝を迎えた。

MVNOが鯖メンしていて通信制限が続いている。不便でしょうがない。確か郷土資料館は10時開館だった筈。時間に合わせて宿を出る。f:id:RSSHAKE:20210603081152j:image時間に着くと草むしりをしている人が大勢、入り口は半分空いている。自転車を止めるとお兄さんが休館と教えてくれた。これほど落胆したのは家を出て初めてだ。しかし、調べてられなくとも今のご時世そうなることは予想できただろうに。

 

そうなると今日はどうしようか、天気は抜群の快晴だ。かの有名な原野のオロロンラインまでは100kmほどありそうだ。ここだけは晴れた状態で走りたい。時間的に無理をすればいけなくもなさそうだが、ツーリングマップルにはアップダウンの文字が経路上に散らばっている。踏ん張るしかなさそうだ。チェーンが伸びてしまうにを覚悟して、今回ばかりは押さずに登る。

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初山別村カントリーサインには星が描かれ、道の駅の看板にも同じく星が。今日の快晴なら、とても綺麗な星空が見えるのだろう。f:id:RSSHAKE:20210603081327j:image
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この辺りから小さく利尻富士が見え始めるf:id:RSSHAKE:20210603081349j:image

遠別町を抜けると、牧場が横手に見えた。北海道に入り初めて放牧牛を目にした。自転車を止めてしばらく歩道から牛達を見る。この時点で、オロロンラインに行くことは諦めていた。今日はそこよりも、天塩までの道をしっかり見よう。

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途中、荷物を積んだ自転車に追いついた。追い越して少し先のセコマが同じ休憩場所だったので声をかけてみると、礼文までいくとの事。おそらく天塩でまた会うことになるかもしれないと思いつつ、先に出発した。

f:id:RSSHAKE:20210603081455j:image天塩中心街で今日の寝床を探している最中、温泉があった。夕映(ゆうばえ)という施設で、アンモニア臭のする温泉で有名だそうだ。それよりも名前の夕映に惹かれて入ってしまう。f:id:RSSHAKE:20210603081506j:image
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風呂から上がり、天塩川の南にある鏡沼公園による。ここにはフリーサイトよりも安く泊まれライダーハウスがある事で知っていたが、コロナで閉鎖中。女性専用のライダーハウスがあったのにはライダー配慮の深さを感じた。

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河川公園に移ると、利尻富士が綺麗に見え、日がそこに沈もうとしている。カメラを取り出してふと近くを見ると、あの自転車の方がいた。やはり、ここでまた会うことになった。f:id:RSSHAKE:20210603081558j:image

地元の方も夕日を撮影しにきて、ちょうど利尻富士の頂点に夕日が沈んだ時の写真を見せてくれた。美しい写真であった。手塩の名物は風らしい。この先の風車群を、まるで一本しかないように見える箇所を教えていただいた。忘れないようにしなければ。

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日が沈み人気がなくなったところで、河川敷の端で設営を済ませる。オロロンラインまで進んでいたら、寝床に困ったであろう、無理はしないでよかった。

明日も無事でありますよう、気をつけます。

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